高群逸枝 肥後猛婦

高群逸枝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/21 05:38 UTC 版)

肥後猛婦

  • 大宅壮一は戦後、熊本県を「天皇引き取り県」といい、また「肥後猛婦」という言葉も作りだした。高群逸枝もその一人である。幕末、維新に活躍した熊本藩儒学者横井小楠の親族や弟子に縁のある女性たちが多く、男女同権や社会運動を目指した。

高群逸枝に関する学位論文

  • 丹野さきら 「高群逸枝再読 : 種への拒否と歴史の誘惑」[5]
  • 栗原弘「高群逸枝の婚姻女性史像の研究」[5]

望郷子守歌の碑

  • 寄田神社(熊本県宇城市松橋町久具)の境内に、高群逸枝が詠んだ望郷子守歌の碑がある[6]

外部リンク


  1. ^ 栗原弘『高群逸枝の婚姻女性史像の研究』高科書店、1994年、340-351頁。 
  2. ^ 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』付録「近代有名人の死因一覧」(吉川弘文館、2010年)17頁
  3. ^ 大塚英良『文学者掃苔録図書館』(原書房、2015年)130頁
  4. ^ 『高群逸枝1894-1964 別冊環26』芹沢俊介、藤原書店、2022、p42
  5. ^ a b 学位論文データベースによる
  6. ^ 荒木精之編著『熊本の文学碑』熊本日日新聞社、1979、124頁


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