頭上の敵機 製作

頭上の敵機

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/11 01:53 UTC 版)

製作

20世紀フォックスの資料によると、『頭上の敵機』の映画化権利のため20世紀フォックスは$100,000を、さらに追加で最大$100,000を「ブッククラブ条項」のために支払ったとされている。20世紀フォックスの映画プロデューサーダリル・F・ザナックは、ウィリアム・ワイラー監督がパラマウント映画での映画化のため、『頭上の敵機』に興味をもっていることを知り、この高額な権利を買うことを決断している。もっとも、ザナックは1947年アメリカ空軍が撮影に協力する確信を得た時点で最終的な判断をしている[8]。『頭上の敵機』ではドイツ側で撮影されたものを含む実際の戦闘中の映像が使用されている[8]。『頭上の敵機』の多くの部分はエグリン空軍基地英語版およびフロリダ州フォート・ワートン・ビーチで撮影された[9]

脚本を担当したサイ・バートレットとバーン・レイ・Jrは自身の第8空軍での経験を映画に活用している。第8空軍司令部でバートレットはサヴェージ准将のモデルとなったアームストロング大佐のそばで勤務した経験をもつ。映画中の第918航空群は、欧州戦線で長く第8空軍の主力を務めた第306航空群をモデルにしている[注 2]

重爆撃機作戦に従事した元兵士たちは『頭上の敵機』は、実戦を忠実に再現した唯一のハリウッド映画である、とコメントしている[10]。1948年の映画『戦略爆撃指令英語版』と併せ、『頭上の敵機』は勧善懲悪的、楽観的な戦争映画の枠を外れ、戦争によって失われる人命と向き合う迫真のリアリティを追ったターニングポイントとされる。 この二つの映画はP-51の様な航続距離の長い戦闘機が出現する以前、第二次大戦参戦直後の陸軍航空軍の戦闘ドクトリンに従い、護衛戦闘機なしで白昼爆撃を行った部隊を描いている。サイ・バートレットとバーン・レイ・Jrのアメリカ空軍を舞台にした1950年代の『ミサイル空爆戦隊』、冷戦時代の『ロケット・パイロット』は『頭上の敵機』の筋書きをなぞった映画とされている。

映画の前半で登場するB-17を胴体着陸させるシーンのため、ハリウッドの有名なスタントパイロットだったポール・マンツには前代未聞の$4,500の出演料が払われた[11]。マンツとトールマンツ航空を経営していたフランク・トールマン英語版は、自叙伝のなかでB-17を1人で着陸させた例は多々あるが、他の搭乗員なしで、1人で離陸させた例は他にはなく、出来るかも分らなかった、と述べている[注 3]。 この胴体着陸のシーンは1962年の映画『戦う翼』でも使用されている[14]

イギリス空軍アーチベリー基地の爆撃機用飛行場のロケ地はキング監督自身が自ら所有する飛行機で1949年2月から3月にかけて約16,000マイル(25,600 km)を飛行して探しだしたものである。キング監督は1949年3月8日にエグリン空軍基地を訪ね、デューク・フィールド英語版の名で知られるエグリン基地本体から数マイル北にある第3予備地が主要な撮影地と決定している。ここには管制塔を含む15棟の建物がアーチベリー飛行場を模すために作られた[6][15]アラバマ州マクセル空軍基地に勤務していた『頭上の敵機』のテクニカルアドバザーであるジョン・デラッシー大佐はアラバマ州デールヴィル近郊のオザーク飛行場をロケ地として推し[15]、キング監督はエグリン基地の明るく塗装された滑走路が戦時下に敵機から発見されにくいよう黒く塗装された戦時下のイギリスの滑走路としてふさわしくないことから、オザークを、胴体着陸を含むB-17の離陸・着陸の撮影に使用した。撮影隊がオザークに到着した際、草生したオザーク基地がハーヴィ・ストーヴァルの第二次世界大戦中を思い出すシーンにふさわしいとされ、このシーンの撮影にも使われた[6][16]

イギリス・オックスフォードシャーにあるイギリス空軍バーフォード・セント・ジョン基地でも一部の背景の撮影が行われたほか、エグリン基地やフォート・ワートン・ビーチでもロケが行われている[17]。撮影には、エグリン基地にあったQB-17標的機を改造したもの、アラバマやニューメキシコで保管されていたものから12機のB-17が使用された。この中には1946年のビキニ環礁の核実験に使用され、高レベルの放射線を発する機体があり、これら機体の撮影への使用は最低限とされた[6]

『頭上の敵機』は1949年4月から7月にかけて撮影された[18]。カラーで撮影することが計画されていたが、連合軍とドイツ空軍が実戦中に撮影したフィルムを違和感なく入れ込むため、全編が白黒撮影とされた[8]


注釈

  1. ^ テイベッツは広島に原爆を投下したB-29エノラ・ゲイの操縦士である。
  2. ^ 306×3は918である。
  3. ^ このトールマンの主張は映画撮影中に20世紀フォックスが発表した内容とも、ダフィンとマーセイスがThe 12 O'Clock High Logbook執筆用に行った調査とも矛盾する。 1961年にグレゴリー・ボードがB-17の単独飛行を行ったとEverything But the Flakの"The Amazing Mr. Board"章でマーチン・カイディンが記している[12]ほか、1947年にアート・ラセイがB-17を単独で飛ばしたとされているが、後者の事例は、ラセイがB-17を破損した際に天候によるもの、と記録されたためにあまり有名ではない。[13]

出典

  1. ^ "The Top Box Office Hits of 1950." Variety, January 3, 1951.
  2. ^ a b "The 22nd Academy Awards (1950) Nominees and Winners." oscars.org.]”. 2011年8月18日閲覧。
  3. ^ "Twelve O'Clock High Full credits."”. IMDb. 2009年10月21日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g クレジット無し
  5. ^ a b Bowman, Martin. “"12 O'Clock High."”. Osprey Publishing,. 2014年5月25日閲覧。
  6. ^ a b c d e f g h Correll, John T.. “The Real Twelve O’Clock High.”. The Air Force Association via airforce-magazine.com, Volume 94, Issue 1, January 2011. 2014年5月25日閲覧。
  7. ^ Duffin and Matheis 2005, p. 61.
  8. ^ a b c d Notes: Twelve O'Clock High.”. Turner Classic Movies. 2009年10月21日閲覧。
  9. ^ Filming locations: Twelve O'Clock High”. IMDb. 2009年10月21日閲覧。
  10. ^ Duffin and Matheis 2005, p. 87.
  11. ^ Trivia: Twelve O'Clock High”. Turner Classic Movies. 2009年10月21日閲覧。
  12. ^ Gregory Board”. 'IMDb. 2013年5月9日閲覧。
  13. ^ Cheesman. Shannon (2010年6月16日). “Boast + adult beverages = a B-17 on the roof.”. KVAL.com. 2012年2月5日閲覧。
  14. ^ The War Lover (1962)”. aerovintage.com (2007年10月28日). 2012年12月15日閲覧。
  15. ^ a b Orriss 1984, p. 149.
  16. ^ Duffin and Matheis 2005, pp. 65–67.
  17. ^ Locations: Twelve O'Clock High (1949)”. IMDb. 2009年10月21日閲覧。
  18. ^ Overview: Twelve O'Clock High”. Turner Classic Movies. 2009年10月21日閲覧。
  19. ^ Release dates: Twelve O'Clock High (1949).”. IMDb. 2009年10月21日閲覧。
  20. ^ Misc. notes: Twelve O'Clock High”. 'Turner Classic Movies'. 2009年10月21日閲覧。
  21. ^ Crowther, Bosley (1950年1月28日). “Twelve O'Clock High (1949)”. The New York Times. 2011年3月1日閲覧。
  22. ^ a b Awards”. Allmovie. 2009年10月21日閲覧。
  23. ^ Correll, John T.. “The Real Twelve O’Clock High”. Air Force Magazine, Vol. 94, No. 1, January 2011. 2014年2月7日閲覧。
  24. ^ Twelve O'Clock High (1949)”. IMDb. 2009年10月21日閲覧。
  25. ^ 頭上の敵機”. 映画.com. 2014年5月27日閲覧。
  26. ^ Awards: Twelve O'Clock High (1949)”. IMDb. 2009年10月21日閲覧。
  27. ^ Hooray for Hollywood - Librarian Names 25 More Films to National Registry”. Library of Congress. 2014年5月28日閲覧。
  28. ^ Duffin and Matheis
  29. ^ 番組ガイド:「頭上の敵機」「爆撃命令」”. 【海外ドラマ番組ガイド☆テレプレイ】. 2014年5月28日閲覧。
  30. ^ Orriss 1984, p. 122.






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