静御前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/01 14:40 UTC 版)
静御前(しずかごぜん、生没年不詳)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の女性白拍子。母は白拍子の磯禅師。源義経の妾。
注釈
- ^ 自分の名前「静」を「倭文(しず)」とかけつつ、頼朝の世である「今」を義経が運栄えていた「昔」に変えることができれば、と歌っている。『伊勢物語』32段「古(いにしえ)のしづのをだまきくり返し昔を今になすよしもがな」を本歌とする。
- ^ 吉野山は静と義経が別れた場所。『古今和歌集』の冬歌、壬生忠岑による「み吉野の山の白雪踏み分けて入りにし人のおとづれもせぬ」を本歌とする。(二首とも現代語訳は河出書房『義経記』(高木卓訳)より)
- ^ 当時は御家人と白拍子の間の子は、男子であれば父の下で武士として育てられ、女子であれば母の下で白拍子として育てられた。女子であれば白拍子である静の子で、頼朝には関わり合いのない者であるが、男子であれば謀反人である義経の子であるので、将来の禍根を絶つために殺害しようとしたと考えられる(細川涼一「白拍子の実相」(初出:『観世』2006年8月号(檜書店)/所収:細川『日本中世の社会と寺社』(思文閣出版、2013年3月) ISBN 978-4-7842-1670-3)。
出典
- ^ 細川涼一「河越重頼の娘」(初出:『京都橘大学女性歴史文化研究所紀要』16号(2008年3月)/所収:細川『日本中世の社会と寺社』(思文閣出版、2013年3月) ISBN 978-4-7842-1670-3
- ^ a b “漁村・漁港の紹介 京丹後市網野町磯”. 京都府. 2020年11月1日閲覧。
- ^ “静神社”. 京丹後市観光公社. 2020年11月1日閲覧。
- ^ 宇都宮商工会議所会報 特集・なるほど宇都宮 第48回亀井の水~中世 (PDF) 2021年7月27日閲覧。
- ^ 宇都宮の歴史と文化財「宇都宮にまつわる民話 鏡ヶ池」 宇都宮市教育委員会(宇都宮市歴史文化資源活用 推進協議会)2021年7月27日閲覧。
- ^ 戸祭地域データブック (PDF) (宇都宮市立図書館)
- ^ 公益財団法人日本花の会「桜図鑑・静桜」2021年7月27日閲覧。
- ^ 宇都宮の歴史と文化財「宇都宮の旧跡(18)銘木名水」P63 宇都宮市教育委員会(宇都宮市歴史文化資源活用 推進協議会) (PDF) 2021年7月27日閲覧。
- ^ 宇都宮の歴史と文化財「宇都宮の旧跡(15)先人の墓所を訪ねて」P52・亀井六郎の墓 宇都宮市教育委員会(宇都宮市歴史文化資源活用 推進協議会) (PDF) 2021年7月27日閲覧。
- ^ a b c d “「静御前」から紐解く久喜市栗橋の歴史”. フジハウジング. 2020年11月1日閲覧。
- ^ a b c 白井哲哉「名所化する遺跡:静御前墓所伝承地の200年」『日文研叢書』43巻(共同研究報告書No.89)、国際日本文化研究センター、2009年。
- ^ “源義経や静御前が練り歩き 久喜・栗橋地域で静御前まつり、地域の若者や小学生らが時代絵巻パレード”. 埼玉新聞. (2018年10月22日) 2020年11月1日閲覧。
- ^ 福島民報新聞 2005年10月17日付記事 鶴岡八幡宮(鎌倉)に桜植樹
- ^ 岩手県川井村郷土史・郷土史事典「香川県」より
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