青森県立大湊高等学校川内校舎 所在地

青森県立大湊高等学校川内校舎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/25 02:21 UTC 版)

所在地

  • 〒039-5201 青森県むつ市川内町家の上48番地

概要

歴史
1948年昭和23年)に青森県大湊高等学校の定時制分校として設置される。1976年(昭和51年)に全日制課程に転換し、1978年(昭和53年)に「青森県立川内高等学校」として独立したが、2008年(平成20年)の統合により30年ぶりに大湊高等学校の分校となった。
2021年(令和3年)3月に閉校となった[1]
校訓
清く・豊かに・逞しく
校章
3本の同心円の右上(約4分の1)にゴシックで高の字
校歌
自然環境などについて歌うが、高校名は含まれていない。
作詞:横浜正太 作曲:野村正憲
生徒会館
汐見ヶ丘会館 - 高校校舎が所在した高台の通称名から命名(正式な住所は家ノ上48)

沿革

  • 1948年(昭和23年)10月7日 -「青森県大湊高等学校川内分校」(定時制普通課程)が設置される。
    • 大湊高等学校本校・川内分校の設置者は大湊町
  • 1950年(昭和25年)1月1日 - 大湊高等学校本校が青森県に移管され、「青森県立大湊高等学校川内分校」に改称。
    • ただし川内分校の設置者は大湊町のまま。
  • 1969年(昭和44年)
    • 2月1日 - 独立校舎が完し、移転を完了。第一川内小学校の新校舎落成移転に伴い、旧第一川内小学校(木造)を改築、独立校舎として利用。青森県むつ市川内町熊ケ平1付近にあった。
    • 10月6日 - 特別教室が完成。
  • 1970年(昭和45年)4月1日 - 青森県に移管され、川内分校も大湊高校本校と同じく県立となる。
  • 1976年(昭和51年)4月1日 - 全日制課程を設置。定時制課程の募集を停止。
  • 1978年(昭和53年)
    • 4月1日 - 青森県立大湊高等学校より分離し、「青森県立川内高等学校」として独立。
    • 11月7日 - 独立昇格記念式典を挙行。
  • 1979年(昭和54年)3月31日 - 定時制課程を廃止。
  • 1980年(昭和55年)
    • 7月1日 - 新校舎に移転。
    • 8月30日 - 生徒会館が完成し、「汐見ヶ丘会館」と命名。
  • 1981年(昭和56年)7月2日 - 第2体育館が完成。
  • 1984年(昭和59年)6月7日 - 学校林を造成。
  • 1993年(平成5年)4月1日 - 情報コースを設置。
  • 1999年(平成11年)3月30日 - 第1体育館を改修。
  • 2002年(平成14年)3月20日 - 第2体育館を改修。
  • 2003年(平成15年)12月19日 - 管理・普通教室棟の大規模改修を実施。
  • 2008年(平成20年)4月1日 - 統合により、「青森県立大湊高等学校川内校舎」となる(30年ぶりに再分校化)。
  • 2021年(令和3年)3月 - 閉校[1]



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