金沢文庫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/15 03:36 UTC 版)
神奈川県立金沢文庫 | |
---|---|
神奈川県立金沢文庫新館
| |
施設情報 | |
正式名称 | 神奈川県立金沢文庫 |
前身 | 金沢文庫 |
専門分野 | 神奈川県(中世)の歴史 |
事業主体 | 神奈川県 |
所在地 |
〒236-0015 神奈川県横浜市金沢区金沢町142番地 |
位置 | 北緯35度20分38.2秒 東経139度37分43.3秒 / 北緯35.343944度 東経139.628694度座標: 北緯35度20分38.2秒 東経139度37分43.3秒 / 北緯35.343944度 東経139.628694度 |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
プロジェクト:GLAM |
近代になって復興され、現在は「神奈川県立金沢文庫」(かなざわぶんこ)の名称で県立歴史博物館となっており、様々な所蔵品を保管・展示している。所在地は神奈川県横浜市金沢区金沢町142番地。
- ^ 横浜金沢観光協会 県立金沢文庫 -
- ^ 北条高時と金沢貞顕・pp11-12。
- ^ a b 武家の古都・鎌倉ニュース 第30号(鎌倉市)
- ^ 『鎌倉大草紙』に見える話であるが、一次史料の裏付けはない。憲実は足利学校に宋版本を寄贈しているが、当時これらの書を輸入することは容易でなく、金沢文庫から持ち出したことが考えられる。
- ^ 神奈川県立金沢文書『金沢文庫古文書への誘い』2006年、p11。)
- ^ 『金沢文庫の歴史』1990年、p38。
- ^ 例えば『江戸名所図会』(角川文庫)第2巻p337。
- ^ 『金沢文庫の研究』pp188-189。
- ^ 『金沢文庫の歴史』1990年、p29。
- ^ 三山進『称名寺』(中央公論美術出版、1965年)。異論を唱える結城睦郎は、もともと称名寺が管理する文庫があって、後に金沢文庫に発展した(称名寺文庫と金沢文庫は別個のものではない)と推測する。
- ^ 『江戸名所図会』(角川文庫)第2巻p337。阿弥陀院は阿字池の西側にあった。金沢氏の邸宅跡と考えられている。昭和時代に金沢文庫が建っていた場所で、現在は芝地。
- ^ 『神奈川県立金沢文庫総合案内』(1991年)p6。
- ^ 金沢文庫は、かつて「かなざわ」ではなく「かねさわ」だったって本当?(はまれぽ.com 2013年10月1日)
- ^ 江戸時代中期以降、米倉氏が治める「〈武州〉金沢(かねざわ)藩」が存在していたが、版籍奉還の際に加賀藩の正式呼称が金沢藩と定まったことに伴い、「六浦藩」と改称された。
- ^ 『金沢文庫の歴史』(1990年)p38。同書によれば上杉憲実が持ち出したと推測される『毛詩正義』に金沢文庫印がある(pp106-107)。
- ^ おおむね『金沢文庫の歴史』(pp133-139)に従う。『国史大辞典』にも多くの写真入りで紹介されている。国指定文化財等データベース[1]で「金沢文庫本」を検索するとヒットするものもある。
- ^ 『神奈川県立金沢文庫総合案内』(1991年)p50。かつて夏島で憲法草案を起草した伊藤が称名寺の衰退を聞き、同情をよせたことがきっかけという。なお、書見所の玄関部分が県立金沢文庫西側の公園に復元されている。
- ^ 日本建築学会編『総覧日本の建築2 関東』p380。
- ^ 竹内誠監修『知識ゼロからの博物館入門』幻冬舎 2010年 p116。
- ^ 神奈川県立金沢文庫 文庫概要
- ^ 江戸時代から存在が知られており、『新編武蔵風土記稿』などに引用されている。
- ^ 『神奈川県立金沢文庫総合案内』(1991年)pp62-63。
- ^ 200点余りを所蔵。神奈川県立金沢文庫編集・発行 『金沢文庫の浮世絵』 2008年2月15日
- ^ 千葉 毅2020「神奈川県立金沢文庫保管の考古資料とその来歴―横浜市称名寺貝塚の縄文時代遺物を中心に―」『金沢文庫研究』344号、神奈川県立金沢文庫、pp.5-33
- 1 金沢文庫とは
- 2 金沢文庫の概要
- 3 概要
- 4 金沢文庫本
- 5 近代以降の金沢文庫
- 6 交通
金沢文庫と同じ種類の言葉
- 金沢文庫のページへのリンク