輪島功一
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/03 18:57 UTC 版)
逸話
- 日本王者を5連続KO勝ちで防衛中、伊豆でキャンプを張っている時にアパートが火事になり、押入れにコツコツ貯めていた22万円(現在の価値で言うと220万円近く)が全て灰になってしまう不幸に見舞われる。そんな折、東洋ジュニアミドル級王者金沢英雄とのマッチが組まれるが、条件はノンタイトルでファイトマネーなしという屈辱的なものだった。しかし輪島はこれを承諾、見事に2回KOで勝利した。金沢が世界ジュニアミドル級7位にランクされていたため、この勝利で世界ランク10位以内に入り(当時は世界ランク10位以内に入っていなければまず世界挑戦はできなかった。現在は15位以内)、世界挑戦への切符を手にした。
- オスカー・アルバラードにKOされ、入院を余儀なくされた際に医師が輪島夫人に「あんなダメージを負った以上、今後ボクシングを続ければ命に関わる。奥様からも引退を考えるよう諭してほしい」と持ちかけた。夫人が「傷付けないよう、それとなく告げよう」と考えながら病室に戻ると、輪島はベッドの上で黙々と腕立て伏せをしており、夫人は説得するどころか呆れてしまったという。
- 上記の入院時、輪島は「点滴じゃ駄目だ。自分で食べないと体力が衰える」と主張、絶対安静のところを医師の制止を振り切って無理矢理退院した。しかし、その代償は大きく、毎日全身が激痛に見舞われた。ろくに歩くことすらできず、ようやく2か月半後にマンションの階下から13階の自室まで自力で辿り着き、夫人と2人で万歳をして喜ぶほどだったという。
- 柳済斗にKO負けを喫した際にも周囲から引退を勧められたが、輪島は断固拒否している。「あなたは人気者だから金はボクシング以外でも稼げるだろう」と言われると、輪島は「無くした金は諦めてしまえばそれで済みます。しかし人間が意地というものを一度手放したら、一生手元には返ってこない。死ぬまで後悔することになるんです」と言い返し現役続行の態度を貫いた。
- 柳済斗にKO勝ちし王座に再びついた後、知人に「チャンピオンのまま引退するのが美しい去り際ではないか」と言われた輪島は、笑いながらこう答えたという。「俺は辞めないよ。チャンピオンのまま引退すれば、確かに傍目には格好良く映るかもしれない。でも、本当はちっとも格好良くないんだよ。どうして引退する必要があるんだ?次の相手には勝てないかもしれないと考える、負けることを恐れる臆病な心からじゃないか。見た目や格好を気にすると人は臆病になる。体が決定的に壊れてもいない、まだ戦えるのに辞めるのは卑怯だと思う。だったらたとえ負けても闘うべきじゃないか」
- 記者会見でパフォーマンスをしたことでも知られる。オスカー・アルバラードとの再戦時、減量に苦しむ王者の前でおでんとビールをパクつき、王者にも勧め心理的に揺さぶりをかけた。また柳済斗との再戦時では、マスクをして現れ、風邪を引いて体調不良であるように装った。
- 洒落っ気のある性格で、世界タイトルマッチ勝利後にファンとの約束でリング上にて自らの持ち歌『炎の男』を披露したこともあり大いに人気を集めた。引退後もテレビ番組などで『炎の男』を披露することがある。
- 柳済斗との第2戦の実況は逸見政孝。逸見はアナウンサー人生でこの試合を実況できたことがアナウンサー人生で1番の印象として挙げている。
- 日本中を感動の渦に巻き込んだ柳済斗との第2戦の翌日、都内で強盗が銀行に立て籠もる事件が起こった。このとき警察官が犯人に対し「輪島は逆境から立ち上がってチャンピオンになった。お前も昨日の輪島の試合を見ただろう。輪島を見習い人生をやり直せ」と説得したという。あまりにも劇的な輪島の王座復活は、当時の国民的関心事だったことがうかがえる。
- 戸籍名の「輪島公一」から「輪島功一」にリングネーム変更した理由は、ある試合でリングアナウンサーに「わじま・はむいち」とコールされたためである(本人談)。
- 現在も明るくとぼけたキャラクターでバラエティ番組などに引っ張りだこの存在である。また実生活においても日課の犬の散歩がてら、ゴミ拾いを欠かさない好人物である。
- 引退後は団子屋を始め、成功を収めている。現在は東京都国分寺市の国分寺駅北口に団子屋『だんごの輪島』がある。輪島本人はジムに専念するため、店舗経営を義弟に任せているが、「ファイト最中」など輪島にあやかった商品もある。1994年に『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』の「だんごバスツアー」と称した企画にも団子屋が登場したことがある。1999年には『だんご3兄弟』が流行った頃、歌にあやかった団子「だんご3姉妹」を売り出し大売れした。
- 『笑点』の大喜利における座布団10枚の商品として、輪島揮毫による、「花より団子」の掛軸が贈呈されたことがある(獲得したのは、春風亭昇太)。
- 大相撲の横綱・輪島として活躍した輪島大士と従兄弟と言っていたことがあるが、後に本人が語った所によれば、2人が同じ苗字でプロスポーツで頂点に立ち、タレント活動をしていたことと共通点が多いため従兄弟という設定で売り出したとのこと(元々2人は友人同士だったため、本人は横綱のことを「ひろし」と呼び、横綱には「こうチャン」と呼ばれていた)。しかし、この説明は、輪島直幸を含む3人が従兄弟である、と横綱現役の頃から言われていたという事実と矛盾する。2016年には「大士はまたいとこ」としている[11]。
- TBS系ドラマ『3年B組金八先生』の第1シリーズ・第2話にボクシングジムのトレーナー役で特別出演したことがある(金八の教え子と実際にリング上でスパーリングも行った)。
- 引退セレモニーの10カウントの時、引退することの寂しさからか輪島は両耳をふさいでしまった。
- フジテレビボクシング中継の解説者として、技術論を語る矢尾板貞雄に対し、苦労人らしく人情論を説いた。
- ジムについては元々娘婿である磯谷和広に継承させることを考えていたが、その後次男の大千が継ぎたいと言い出したため、「どちらかと言われればやっぱり息子に継がせたい」と大千に継承させることになった[12]。
- 2020年東京オリンピックボクシング女子フェザー級で金メダルを獲得した入江聖奈はカエル好きで知られることから、その際にメディアから取材を受けており、「カエル好きのおかげでオレのことも少しは思い出してもらえた」「子…じゃないね、孫ガエルだよね」とコメントしている[13][14]。
- 愛妻家で妻を「宝物」と語っている[15]。
- 情に篤い人物で、どのようなスタッフであっても退職しようとしたときには必ず慰留したという。輪島は、その理由について、引き留められたことが自信となり、次の仕事や人生につながることもあるのではないかとしている。
- ^ Koichi Wajima cyberboxingzone.com
- ^ 輪島功一のTV出演情報 - オリコン
- ^ “輪島功一 プロフィール”. 2024年2月4日閲覧。
- ^ (人生の贈りもの)わたしの半生 プロボクシング元世界王者・輪島功一:1 73歳 - 朝日新聞 2016年11月28日
- ^ “元ボクシング世界王者・輪島功一氏の孫がプロデビュー 身長182センチのイケメン”. スポーツ報知 2021年8月28日閲覧。
- ^ a b ボクシング・マガジン編集部 編『日本プロボクシングチャンピオン大鑑』ベースボール・マガジン社、2004年3月1日、317頁。ISBN 978-4-583-03784-4。
- ^ “事件・事故・災害 昭和50年代 警察活動の変遷”. 警視庁オフィシャルウェブサイト. 2012年8月6日閲覧。
- ^ “昭和52年 警察白書 第3章 犯罪情勢と捜査活動 – 2犯罪の特徴的傾向 (2) 銃器使用犯罪の増加 〔事例1〕”. 警視庁オフィシャルウェブサイト. 2012年8月6日閲覧。
- ^ “元世界王者の輪島功一氏ボクシングジム会長勇退 後継は次男大千トレーナー”. nikkansports.com. (2021年4月14日) 2021年8月24日閲覧。
- ^ 輪島功一 非難されたカエル跳びパンチは初世界戦で一回だけ NEWSポストセブン 2013年4月9日
- ^ (人生の贈りもの)わたしの半生 プロボクシング元世界王者・輪島功一:7 73歳 - 朝日新聞 2016年12月6日
- ^ “「ボクシングは頭を使え」 〜輪島功一インタビュー〜”. スポーツコミュニケーションズ (2008年8月28日). 2022年4月18日閲覧。
- ^ “【甘口辛口】「カエルに両国」輪島功一さんが感じた入江聖奈との縁 女子フェザー級決勝は泣きながら観戦”. SANSPO.COM. (2021年8月5日) 2021年8月23日閲覧。
- ^ “元祖が認めた!輪島功一さん、入江聖奈は「子…いや孫ガエル」”. スポーツ報知. (2021年8月3日) 2021年8月23日閲覧。
- ^ “輪島功一(30)人生の宝はファンと共有する記憶、そして妻”. 産経ニュース (2021年12月31日). 2022年8月24日閲覧。
固有名詞の分類
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