谷亮子 柔道スタイル

谷亮子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 15:08 UTC 版)

柔道スタイル

身長146 cmと小柄なこともあり、もともとは背負い投げ、そして小内刈大内刈などを得意技としていた。しかし、背負いが警戒されることをうけ、他の技も習得し頻繁に出すようになった。大外刈内股体落掬投小外刈と多彩で、この技の多さが一つの武器となっており、選手キャリア中盤以降の時期は背負投げ以外の技で勝つことが多かった。また、抑込技腕挫十字固などの寝技で勝利することも少なくなかった。全日本代表チームで谷のコーチを務めていたこともある広島大学教授の出口達也によれば、谷の考え方には技という概念はなく、一連の素早い動きの中に技が含まれているに過ぎず、相手に反応できれば結果的にどんな技になっても構わないという[95][96]

駆け引きがうまく、試合の組み立ても秀逸。組み手に強く、相手にいいところを取られたら瞬時に技を掛けながら外すなど、危機管理能力が桁外れに高い選手である。判定で負けることはまずない。組み際や相手が立ち上がろうと油断した瞬間を逃さない。なお、1999年あたりからは従来のように絶妙なタイミングから相手を投げるスタイルに限界を感じて、それを補うためにより一層のパワーアップ及びスピードアップの向上に努めた。かくして、全身反応時間の更なる高速化とパワーでも外国選手と太刀打ちできるだけの筋力を獲得した。アテネオリンピックで女子代表チームのコーチを務めていた古賀稔彦は「こんな選手は2度と出てこない」と最大級の賛辞を贈っている[40][55]

1992年のバルセロナオリンピックに続いて1996年のアトランタオリンピックでも僅かな差でありながら敗れた後に、世界選手権を含めた他の全ての大会に勝ちながらなぜオリンピックのみは勝てないのかと思い巡らせた結果、負けた試合を精査してそれを修正するよりも、むしろ勝った試合を徹底的に分析して勝ちパターンの把握に努め、それを揺るぎないセオリーにまで高めるべきことに気付いた。また、自らをコントロールできる強さを身に付けるために、オリンピックや世界選手権の2か月ほど前から毎日のように「今日が試合当日」と思い聞かせて一日を過ごすことにしていたので、自らを律して練習に取り組むことができ、普段と同じ領域から試合当日へ入っていけたという。なお、小学生の時は試合で負けた場合でもそれで終わりにせず、直ちに道場に戻って次に対戦した時には新展開で勝つイメージを作るための練習を行うことになっていた。そのような経緯もあってこの時代すでに、「負けて学ぶことは少ない。勝ってさらに高い目標を掲げる」という基本思考が形作られていたという[97]

今までに負けた試合は10試合ほどであり、寝技ではジュニア時代に3回一本負けを喫したことがあるが、立ち技では一度もない[40]。なお、最大のライバルの1人と見なされていた長井淳子は、田村がもっとも強かった時期は1995年だったと語っている[98]。高校時代に指導していた園田兄弟も、田村のピークは1993年と1995年の世界選手権で優勝した時だったと語っている[26]。 アトランタオリンピック後のインタビューでは対戦が予想される全ての選手をライバルと思うようになったと語っていたが、引退後にはライバルという存在に対して、「私の柔道人生の中でライバルは作れませんでした。国内外でいろいろな選手が台頭しては消えていく中で、ライバルと思える選手はいなかった。」と否定的な見解を示した[51][85]

オリンピック及び世界選手権では計9度も優勝しているが、オール一本勝ちで優勝したことは一度もない。しかしそれは一本勝ちが少なかったことを意味するものでは必ずしもなく、大阪世界選手権とアテネオリンピックでは1試合を除いて全て一本勝ちで優勝、さらに他の世界大会でも1試合しか一本勝ちができなかったリオデジャネイロ世界選手権を除けば、どの大会も過半数で一本勝ちを収めている[40]

21世紀以降、外国人の柔道選手はタックル(朽木倒)を多用する傾向が多く、日本人選手が負ける要因のひとつとなっているが、谷はこれにも対処することが上手く、相手のタックルを避けることが出来、これもオリンピック2連覇を可能にした能力の一つとみなされている[95]

また、国内でも10年近く無敗を誇っていたが、現役晩年時は出産によるブランクの影響と年齢による動きの衰えも見られるようになっているためか、2007年の全日本選抜体重別選手権では福見友子に敗れ、翌2008年の全日本選抜体重別決勝でも山岸絵美に敗れた[3]

まだティーンエージャーのころから常にマスメディアの注目を浴び続け、その中で勝って当然というプレッシャーの中で、長年、モチベーションを維持して頂点に立ち続ける精神力も桁外れであり、井上康生は「どういう精神構造なのかな。ゆっくり話を聞きたい。真剣にそう思う」と評している[99]


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