谷井翠山とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 谷井翠山の意味・解説 

谷井翠山

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/28 09:16 UTC 版)

谷井 翠山
誕生日 明治11年(1878年4月20日
死没年 不明
死没地 不明
国籍 日本
配偶者 谷井せい
影響を受けた
芸術家
筑紫翠雲 川端玉章
テンプレートを表示

谷井 翠山(やつい すいざん、1878年4月20日 - 没年不明)は、明治から昭和初期にかけて活動した日本画家。本名は藤楠、旧姓は津本。資産家であり、公募展への出品は少ない。同じ雅号の三木翠山と混同される事がある。

来歴

1878年(明治11年)4月に和歌山県日高郡御坊村(現和歌山県御坊市)の蝋燭商の大黒屋の津本家に生まれた。16才から文人画家の筑紫翠雲に学び、20才で上京し、川端玉章の画塾に入った[1]

後に和歌山市雑賀村関戸(現和歌山市関戸)の大地主の谷井家に婿養子として入った。その頃の当主の谷井勘蔵は翠山の誕生翌年の明治12年には地租221円持、貴族院多額納税者議員互選人だった[2][3]

主な作品

『芭蕉図襖』(道成寺
  • 1901年(明治34年) 「水墨山水」 『美術画報』 十五編巻八
  • 1929年(昭和4年) 「雨後の香落渓」 早苗会展覧会図録 第30回
  • 1934年(昭和9年) 「山水図襖」 天性寺 本堂襖(四面、絵画寸法巾142.5cm高205.2cm)
  • 制作年不明 「蓬莱山水之図」 個人蔵
  • 制作年不明 題不明(蓮と白鷺) 個人蔵
  • 制作年不明 題不明 個人蔵 和歌山県立近代美術館寄託
  • 制作年不明 「芭蕉図襖」 道成寺 庫裏襖(四面)
  • 制作年不明 「山水図襖」 道成寺 庫裏襖(四面)

関連リンク

出典

  1. ^ 『美術画報』15編巻8(1904年7月20日)
  2. ^ 高嶋雅明「和歌山県貴族院議員多額納税者議員互選人名簿(1)」『紀州経済史研究叢書』26輯 1979
  3. ^ 藤本清二郎「幕末・明治前期、圓珠院貫忠と地域の民衆・名望家 紀州系天台寺院の近代化」『紀州経済史研究』



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  谷井翠山のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

谷井翠山のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



谷井翠山のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの谷井翠山 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS