誕生 (尾崎豊のアルバム) ツアー

誕生 (尾崎豊のアルバム)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/21 10:02 UTC 版)

ツアー

『誕生』を作ってから、いまこうしてコンサートに向けてのリハーサルが始まった。ギターを持った時は、うれしかったよ。音を出した時はそれ以上だったな。音楽を通して表現するっていうのは、僕からはぬぐい去れないものなんだと、つくづく実感した。
尾崎豊,
月刊カドカワ 1991年6月号[55]

本作リリース直後、尾崎は所属事務所である「ロード&スカイ」が金儲けのために自身を利用しているとの猜疑心から退所する事となった[18]。尾崎は事務所代表の高橋信彦に対して退所を告げると同時に独立して新たな事務所を共に設立する案を提示したが、高橋は取材など一部の仕事のみで尾崎に関与していたため疑心暗鬼の対象となっておらず、深く関与すれば高橋自身も同様の立場になると考え尾崎の提案を拒否した[56]。同年12月19日に尾崎は個人事務所「アイソトープ」を設立[57]。自らが代表取締役となり、コンサートツアーのブッキングやバンドメンバーの選定に当たるようになった[57]。個人事務所の設立には見城も深く関与しており、雑誌の編集長としての範疇を超えて協力していたため編集部に発覚すれば立場を追われるほどの協力体制であった[7]

生前最後の公演が行われた代々木オリンピックプール第一体育館

本作を受けてのコンサートツアーは「ロード&スカイ」所属時に仮決定されていたが、尾崎がツアーの実施を拒否したため事務所側は仮予約してあった会場をキャンセルするなど対応に追われた[58]。その後事務所を退所した事でコンサートツアーは全て白紙に戻されていた状態であった[59]。改めてブッキングを行うも、尾崎のコンサートツアーは過去幾度も中断やキャンセルが発生していた事や[注釈 2]、事務に不慣れなミュージシャン自身が社長である事などからイベンターから敬遠されていた[59]。しかしその後コンサートツアー「Yutaka Ozaki Tour'91 "Birth"」が決定し、1991年5月20日から5月22日までの横浜アリーナ3日間連続公演を皮切りに全国37都市全48公演が行われ[59]、尾崎にとって約4年ぶりの本格的な全国ツアーとなった。また、追加公演として、「TOUR 1991 BIRTH ARENA TOUR 約束の日 THE DAY」が3都市8公演行われ、10月24日、25日、29日、30日には6年ぶりに代々木オリンピックプール第一体育館での公演を実施する。尾崎は東京ドーム公演の際に「またどこかで会おうね」とMCを行った事に対して、横浜アリーナ公演でやっと約束を実現できると述べている[61]。尾崎が同ツアーに対して掲げたスローガンは「路上に掲げた旗を見よ」であり、「お前はいったい何なんだ」という旗を尾崎は掲げていると述べ、また路上の旗とは自身の事でもありリスナーのことでもあると述べている[62]

ライブの中止やキャンセルが許されない状況下で、尾崎は体力作りのためにスポーツクラブに通った他、ツアー先のホテルには必ずスポーツクラブとサウナがあるホテルを選定した[63]。このツアーの際に尾崎は見城に対しツアー日程すべてに同行するよう要請したが、ツアー5日目の大阪厚生年金会館公演後に仕事の都合で東京に戻った所、会社の席に着いた瞬間に尾崎から電話で連絡が来る事となった[64]。尾崎は「どうして帰ったんだ」と見城を問い詰め、「俺は見城さんの愛情が俺ひとりに向くまで、もう一回俺に向くまで、『黄昏ゆく街で』の連載を書かない」、「最終回を人質にとります」と述べ電話を切った[64]。結果として小説『黄昏ゆく街で』は未完のまま終了する事となった[64]。同ツアーは結果として1本もキャンセルされる事なく完遂される事となった[63]。しかしステージを降りた後の尾崎はスタッフの些細な言動に腹を立て言いがかりをつけるようになっていた[63]。またコンサート終了後の打ち上げにおいてもギターを叩き割る行為やイスを投げる行為などを行い、バックバンドのメンバーやスタッフは誰もが早く帰りたいと思うような事態となっていった[64]。そのような事も影響し、ツアーが終了する事には事務所スタッフは総入れ替えとなっていた[63]。またツアー終了からおよそ半年後の1992年4月25日に尾崎は急死したため、同ツアーの最終公演となった10月30日の代々木オリンピックプール第一体育館での公演が生涯最後のライブとなった。


注釈

  1. ^ 尾崎の初著書となる『誰かのクラクション』(1985年)は見城との共同作業で制作された[6]
  2. ^ 1984年の「アトミック・カフェ・ミュージック・フェスティバル'84」における骨折事故により「FIRST LIVE CONCERT TOUR」が9月から12月開始に延期、1987年の「TREES LINING A STREET」ツアーでは急病のため9月に倒れその後約半分の本数を残したままツアー中止となった事などから、各地のイベンターからは要注意人物とされていた[60]

出典

  1. ^ a b 尾崎豊/誕生”. 国立国会図書館サーチ. 国立国会図書館. 2023年6月17日閲覧。
  2. ^ a b c オリコンチャート・ブック アルバムチャート編 1999, p. 28.
  3. ^ a b c d 地球音楽ライブラリー 1999, p. 155- 藤沢映子「THE HISTORY OF YUTAKA OZAKI PART 3」より
  4. ^ 吉岡忍 2001, p. 204- 「72」より
  5. ^ a b c d e f g h i 地球音楽ライブラリー 1999, p. 156- 藤沢映子「THE HISTORY OF YUTAKA OZAKI PART 3」より
  6. ^ a b 文藝別冊 2001, p. 134- 「Special Talks 傘をなくした少年」より
  7. ^ a b c d 文藝別冊 2001, p. 135- 「Special Talks 傘をなくした少年」より
  8. ^ 吉岡忍 2001, p. 240- 「84」より
  9. ^ 尾崎豊の残した言葉 1997, p. 91- 「第2章“VEIN” BUSSINESS&MONEY 仕事・カネ」より
  10. ^ 須藤晃 1998, p. 114- 「第二章 尾崎豊 対話」より
  11. ^ a b 吉岡忍 2001, p. 218- 「77」より
  12. ^ a b 須藤晃 1998, p. 58- 「第一章 尾崎豊 追憶」より
  13. ^ a b c d 須藤晃 1998, p. 59- 「第一章 尾崎豊 追憶」より
  14. ^ a b c d e 文藝別冊 2001, p. 178- 「オリジナルアルバム紹介」より
  15. ^ a b 吉岡忍 2001, p. 245- 「86」より
  16. ^ 須藤晃 1998, p. 161- 「第四章 尾崎豊 同行」より
  17. ^ 須藤晃 1998, p. 115- 「第二章 尾崎豊 対話」より
  18. ^ a b 地球音楽ライブラリー 1999, p. 157- 藤沢映子「THE HISTORY OF YUTAKA OZAKI PART 3」より
  19. ^ 文藝別冊 2001, p. 136- 「Special Talks 傘をなくした少年」より
  20. ^ 吉岡忍 2001, pp. 245–246- 「86」より
  21. ^ a b 吉岡忍 2001, p. 247- 「86」より
  22. ^ 須藤晃 1998, p. 162- 「第四章 尾崎豊 同行」より
  23. ^ 須藤晃 1998, p. 60- 「第一章 尾崎豊 追憶」より
  24. ^ 吉岡忍 2001, pp. 243–244- 「85」より
  25. ^ 須藤晃 1998, p. 70- 「第二章 尾崎豊 対話」より
  26. ^ 須藤晃 1998, p. 79- 「第二章 尾崎豊 対話」より
  27. ^ 須藤晃 1998, pp. 81–82- 「第二章 尾崎豊 対話」より
  28. ^ 須藤晃 1998, p. 85- 「第二章 尾崎豊 対話」より
  29. ^ a b c d e f 文藝別冊 2001, p. 179- 「オリジナルアルバム紹介」より
  30. ^ a b c d 別冊宝島 2004, p. 86- 河田拓也「オリジナル・アルバム完全燃焼レビュー」より
  31. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 地球音楽ライブラリー 1999, pp. 181–182- 「YUTAKA OZAKI TOUR LIST」より
  32. ^ 地球音楽ライブラリー 1999, p. 80- 須藤晃「YUTAKA OZAKI ALBUM GUIDE」より
  33. ^ a b c 地球音楽ライブラリー 1999, p. 78- 須藤晃「YUTAKA OZAKI ALBUM GUIDE」より
  34. ^ a b 『レッドシューズ40 ~ ロックの迎賓館の40年』10月28日発売”. TOWER RECORDS ONLINE. タワーレコード (2022年10月24日). 2023年6月24日閲覧。
  35. ^ 文藝別冊 2001, p. 146- 「with坂本龍一 戦いのラヴ・ソング」より
  36. ^ 月刊カドカワ 1990.
  37. ^ 文藝別冊 2001, p. 147- 「with坂本龍一 戦いのラヴ・ソング」より
  38. ^ a b 吉川晃司 2012, p. 93- 「第3章「同志」」より
  39. ^ 清木場俊介、女子限定ライブ&男祭のDVDを2作同時発売”. 音楽ナタリー. ナターシャ (2012年3月13日). 2021年11月28日閲覧。
  40. ^ 吉岡忍 2001, p. 257- 「89」より
  41. ^ 須藤晃 1998, p. 172- 「第四章 尾崎豊 同行」より
  42. ^ a b c 尾崎豊トリビュート、公式ページにて特典映像ほか”. TOWER RECORDS ONLINE. タワーレコード (2004年3月16日). 2021年10月10日閲覧。
  43. ^ 尾崎康 1994, p. 126- 「第四章 豊が語った心の傷」より
  44. ^ 尾崎康 1994, p. 127- 「第四章 豊が語った心の傷」より
  45. ^ こじへい (2016年6月14日). “「同志みたいな感じ」尾崎豊と斉藤由貴の不倫交際を振り返る”. エキサイトニュース. エキサイト. 2023年6月24日閲覧。
  46. ^ 尾崎康 1994, p. 213- 「終章 最高のことばを遺して」より
  47. ^ 地球音楽ライブラリー 1999, p. 94- 落合昇平「YUTAKA OZAKI SINGLE GUIDE」より
  48. ^ 地球音楽ライブラリー 1999, p. 95- 落合昇平「YUTAKA OZAKI SINGLE GUIDE」より
  49. ^ 地球音楽ライブラリー 1999, p. 96- 落合昇平「YUTAKA OZAKI SINGLE GUIDE」より
  50. ^ 尾崎豊が生前残した計71曲を収録したボックスセットが、完全限定生産で発売”. TOWER RECORDS ONLINE. タワーレコード (2007年2月13日). 2021年8月29日閲覧。
  51. ^ 尾崎豊の名作群がリマスターBlu-spec CD仕様で再登場!ラスト・ライヴの初DVD化も決定”. CDジャーナル. 音楽出版社 (2009年4月2日). 2021年9月4日閲覧。
  52. ^ 尾崎豊、命日に着うたフル解禁&貴重映像初配信”. 音楽ナタリー. ナターシャ (2009年4月17日). 2021年8月29日閲覧。
  53. ^ 尾崎豊、代表曲満載の1stアルバム「十七歳の地図」がカセットで復刻”. 音楽ナタリー. ナターシャ (2015年9月1日). 2021年8月29日閲覧。
  54. ^ 尾崎豊、カセット版『十七歳の地図』ジャケ公開 「あの尾崎豊出現の衝撃をもう一度味わおう」”. リアルサウンド. blueprint (2015年9月29日). 2021年9月4日閲覧。
  55. ^ 尾崎豊の残した言葉 1997, p. 62- 「第1章“ARTERY” ROCK'N'ROLL ロックンロール」より
  56. ^ 地球音楽ライブラリー 1999, p. 158- 藤沢映子「THE HISTORY OF YUTAKA OZAKI PART 3」より
  57. ^ a b 地球音楽ライブラリー 1999, p. 160- 藤沢映子「THE HISTORY OF YUTAKA OZAKI PART 3」より
  58. ^ 吉岡忍 2001, p. 281- 「97」より
  59. ^ a b c 地球音楽ライブラリー 1999, p. 161- 藤沢映子「THE HISTORY OF YUTAKA OZAKI PART 3」より
  60. ^ 吉岡忍 2001, p. 241- 「84」より
  61. ^ 須藤晃 1998, p. 122- 「第二章 尾崎豊 対話」より
  62. ^ 須藤晃 1998, pp. 126–127- 「第二章 尾崎豊 対話」より
  63. ^ a b c d 地球音楽ライブラリー 1999, p. 163- 藤沢映子「THE HISTORY OF YUTAKA OZAKI PART 3」より
  64. ^ a b c d e 文藝別冊 2001, p. 137- 「Special Talks 傘をなくした少年」より
  65. ^ a b c d e 尾崎豊 / 誕生 [2CD]”. CDジャーナル. 音楽出版社. 2021年9月25日閲覧。
  66. ^ a b 別冊宝島 2017, p. 113- 栗原裕一郎「Chapter3 尾崎豊主要作品 完全保存版レビュー」より
  67. ^ 吉岡忍 2001, p. 248- 「86」より
  68. ^ 尾崎豊のアルバム売上TOP20作品”. オリコンニュース. オリコン. 2023年5月21日閲覧。
  69. ^ 文藝別冊 2001, pp. 136–137- 「Special Talks 傘をなくした少年」より
  70. ^ 石田伸也 2021, pp. 192–193- 「第八章 聖地」より
  71. ^ 石田伸也 2021, p. 193- 「第八章 聖地」より
  72. ^ 誕生 1990, pp. 4, 7.
  73. ^ 誕生 1990, pp. 4, 21.
  74. ^ 誕生 1990, pp. 34–45.
  75. ^ 誕生 1990, p. 4 - 5.
  76. ^ 地球音楽ライブラリー 1999, p. 54- 落合昇平「YUTAKA OZAKI ALBUM GUIDE」より
  77. ^ 尾崎豊/誕生”. TOWER RECORDS ONLINE. タワーレコード. 2023年6月17日閲覧。
  78. ^ 尾崎豊 / 誕生 [紙ジャケット仕様] [2CD] [限定]”. CDジャーナル. 音楽出版社. 2023年6月17日閲覧。
  79. ^ 尾崎豊/誕生<初回限定盤>”. TOWER RECORDS ONLINE. タワーレコード. 2023年6月17日閲覧。
  80. ^ 尾崎豊 / 71 / 71 [7CD] [限定]”. CDジャーナル. 音楽出版社. 2023年6月17日閲覧。
  81. ^ 尾崎豊/71/71<完全生産限定盤>”. TOWER RECORDS ONLINE. タワーレコード. 2023年6月17日閲覧。
  82. ^ 尾崎豊 / 誕生 [2CD] [Blu-spec CD] [限定]”. CDジャーナル. 音楽出版社. 2023年6月17日閲覧。
  83. ^ 尾崎豊/誕生<完全生産限定盤>”. TOWER RECORDS ONLINE. タワーレコード. 2023年6月17日閲覧。
  84. ^ 誕生/尾崎 豊|音楽ダウンロード・音楽配信サイト”. mora. ソニー・ミュージックソリューションズ. 2023年6月17日閲覧。
  85. ^ 誕生/尾崎 豊|音楽ダウンロード・音楽配信サイト”. mora. ソニー・ミュージックソリューションズ. 2024年4月21日閲覧。
  86. ^ 尾崎豊 / 誕生 [2CD] [Blu-spec CD2]”. CDジャーナル. 音楽出版社. 2023年6月17日閲覧。
  87. ^ 尾崎豊/誕生”. TOWER RECORDS ONLINE. タワーレコード. 2023年6月17日閲覧。
  88. ^ 尾崎豊/RECORDS: YUTAKA OZAKI<完全生産限定盤>”. タワーレコード. 2023年6月17日閲覧。
  89. ^ 誕生/尾崎 豊|音楽ダウンロード・音楽配信サイト”. mora. ソニー・ミュージックソリューションズ. 2023年6月17日閲覧。





英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「誕生 (尾崎豊のアルバム)」の関連用語

誕生 (尾崎豊のアルバム)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



誕生 (尾崎豊のアルバム)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの誕生 (尾崎豊のアルバム) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS