虎門要塞 虎門要塞の概要

虎門要塞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/02 15:38 UTC 版)

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現存する威遠砲台の門
威遠砲台

1630年代明代末,鄭芝龍弟鄭芝虎が水兵と共に住んだ為、この名がある。康熙帝年間に建設がはじまり、道光帝年間、広東水師提督・関天培欽差大臣林則徐によって本格的な整備、拡充が行なわれた。沙角、大角、威遠などの砲台が11箇所に渡って置かれた。現在では、そのうち2箇所の砲台が残されている。阿片戦争末期は、壮烈な激戦が繰り広げられ多くの犠牲者を出した。

更に再び海外からの侵略にさらされたのは中華民国時代、1937年7月7日の盧溝橋事件に端を発した支那事変が拡大した折、日本軍は広東攻略を進め、日本軍の第21軍第5師団によって攻略され、広東占領の足がかりにされた。

1982年2月23日に全国重点文物保護単位に、1997年6月に全国愛国主義教育示範基地に指定されている。

座標: 北緯22度47分53秒 東経113度37分14秒 / 北緯22.797959度 東経113.620477度 / 22.797959; 113.620477




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