群馬県立太田高等学校 応援歌

群馬県立太田高等学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/08 22:04 UTC 版)

応援歌

  • 時は来たれり
  • 愉快だね節
  • チャンス太田(作・高木規夫 昭和42年卒業 三代応援団長)
  • 行進曲「OHS」(作・浅沼義則 昭和43年卒業 四代応援団長)
  • 覇者の誉れ
  • 逍遥歌(飯田邦夫 作詞)

応援歌は野球部の応援や部活動壮行会以外で歌われることは稀なので、全校生徒が歌詞を知っているわけではない。また、部活動壮行会で歌われるのは「時は来たれり」「愉快だね節」が主である[要出典]

特徴

部活動も盛んであり、部活動加入率は約80%を超える。

行事

二年に一回に文化祭(太高祭、たこうさい)、対抗戦(本戦)が行われる。また、対抗戦(部戦)は毎年行なわれている。

なお、かつては対抗戦(本戦)、太高祭、体育祭を3年周期で実施していた。そのため、それぞれの頭文字の「T」をとり「3Tサイクル」と称していた。

対抗戦

隣接する栃木県足利市にある栃木県立足利高等学校[旧]との間で毎年開催されていた。両校はともに「質実剛健、文武両道」を校風として掲げていて、学習面や部活動面などでも常に良きライバル関係にある。本戦の年は一回交代で相手の高校を訪れ、足利高校は足利氏の旗(足利二つ引両)を、太田高校は新田氏の旗(新田一つ引両、大中黒)を掲げつつ、さまざまな種目で競い合う。それ以外の年は、部活動同士の部戦が行われる。また、2018年までの戦歴は足利高校ウェブサイトにて確認できる。

太高祭

3日間にわたり様々な出し物が出される。1日目は仮装行列と題し、各クラスの生徒がそれぞれのテーマを決めて仮装し市内を回る。2、3日目は校内で各クラスの出し物が行われ、各部活動では出店が開かれる。なお、出店での収益は部活動の予算として計上される。

体育祭

基本的に各生徒はトラック競技(15人16脚、スウェーデンリレー、いかだタイムアタック、団対抗リレー)から一種目、フィールド競技(大縄、綱引き、棒倒し、騎馬戦)から二種目を選択して行う。クラスがそのまま団となり、点数を争う。そのうちスウェーデンリレー、団対抗リレー、棒倒し、騎馬戦については団対抗で戦い、その他の競技はクラス別となる。順位は団とクラス別々に発表される。また、応援合戦については各団3分の所定時間の中に、応援歌である「時は来たれり」を必ずいれ、様々な方法でアピールする。なお、現在は行われていない。

マラソン大会

太田市運動公園SUBARU(旧富士重工業)大泉工場の周辺、約8kmを全校生徒が一斉に走り順位を競う。交通事情の変化により、現在では開催されていない。

球技大会

2日半の間、バレーボール、バスケットボール、サッカー、ソフトボール、卓球、テニスの6種目について全学年の全クラス、及び職員チームの計22チームで行なわれる。トーナメント方式によって行なわれ、各チームの得点によって総合順位が決定する。

施設

  • 稲荷山古墳:敷地内に「稲荷山古墳」という古墳が存在する(詳細は後述)。
  • 記念碑等:創立100周年記念事業として設置された校名石碑(小山五郎揮毫)、スパイラルコンストラクション(森下巳作)、青年の譜(脇谷幸正作)などがある。
  • 学習室:二階に存在する。130席ある学習室は一年中(7:00~19:00)使用する事ができ、多くの学生が利用している。ただし高校入試にあたる日は使用できない。また、授業がある生徒も利用が出来ない。学習室内では飲食が禁止されているが、学習室を一歩でると飲食ができる空間がある。
  • 同窓会館:創立100周年記念事業によって改装され、一階は学生食堂、二階は研修室、三階は合宿施設となっている。二階には創立の鐘と呼ばれる、アメリカ合衆国イリノイ州ヒルズバロで鋳造された鐘がある。

その他

  • 1997年に創立100周年記念式典が挙行され、創立100周年記念誌「金山麓 やまざる流れ」「学校歌集」も発行された。
  • 2004年度より、文部科学省のサイエンス・パートナーシップ・プログラム (SPP) に参加している。
  • 2007年度、エアコンの設置に伴い全校生徒に太田高校の校章が印刷されたエコバッグ(マイバッグ)とアサガオニガウリの種を配布した。

稲荷山古墳

稲荷山古墳
所在地 太田市
形状 円墳
規模 現状30m
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学校の敷地内に存在する円墳で、古墳のある学校は全国的にも珍しく、学校のシンボルになっている。校舎は古墳を避けるように直角に曲がっているため[1]、1階から4階までの西側の2教室は他の教室と少し離れた構造になっている。生徒会誌「いなり山」はここからとられた。いなり山掲載の生徒の創作では度々重要施設として登場する。埋葬施設、埴輪の有無等は未調査のため不明。


  1. ^ a b 猪熊建夫「名門高校の校風と人脈(175) 太田高校(群馬県立・太田市) 企業城下町が育てた名経営者 気骨の大屋晋三、石原信夫」『エコノミスト』第94巻第3号、2016年1月19日、44-45ページ。






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