笑いがいちばん
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/18 23:37 UTC 版)
出演者
「お好み演芸会」時代
歴代総合司会・コーナー司会
- 桂米丸(総合司会)-1973年4月7日〜1980年4月7日
- 柳家小三治(前期大喜利コーナー「噺家横丁」司会)-1973年4月7日〜1980年4月7日(※選抜高校野球中継による特別編成のため、月曜に代替放送)
- 高野美緒(進行アシスタント)-1978年5月1日〜1980年4月7日(※同上)
- 三國一朗(総合司会・後期大喜利コーナー「花の落語家五人衆」司会)-1980年4月13日〜1989年3月5日
- 春日三球(トークコーナー「話のらくがき帳」司会)-1980年4月13日〜1982年4月19日(※選抜高校野球中継による特別編成のため、月曜に代替放送)
- 星セント・ルイス(「セント・ルイス」コーナー(演芸コーナー)司会)-1980年4月13日〜1982年4月19日(※同上)
- 大瀬ゆめじ・うたじ(「ゆめじ・うたじ」コーナー(演芸コーナー)司会)-1982年5月9日〜1985年4月21日
- 団しん也(総合司会・演芸コーナー司会)-1985年6月16日〜1989年3月5日
- フランキー堺(総合司会・「花の落語家五人衆」司会)-1989年4月23日〜1990年1月28日
- 春風亭小朝(総合司会)-1990年2月4日〜1991年3月17日
- 春風亭昇太(総合司会)-1990年4月15日〜1991年3月17日
- 初代森乃福郎(総合司会<大阪製作分<不定期)>)-1973年8月〜1976年3月
- 2代目桂春蝶(総合司会<大阪製作分<不定期>)-1976年7月〜1980年11月
- 吉本真由美(進行アシスタント<大阪製作分>)-1976年7月〜1977年5月
- 香川留美(進行アシスタント<大阪製作分>-1977年6月〜1978年3月
- 大海れい子(進行アシスタント<大阪製作分>)-1978年6月〜1980年2月
- 尾崎美智子(進行アシスタント<大阪製作分>)-1980年7月〜11月
コーナーレギュラー
- 「噺家横丁」(前期大喜利コーナー)レギュラー
- 三遊亭圓右-1973年4月〜1975年3月
- 三遊亭圓遊-1973年4月〜1975年3月
- 7代目橘家圓蔵-1973年4月〜9月
- 2代目桂伸治 -1973年4月〜1975年3月
- 春風亭柳昇-1973年4月〜1975年3月
- 5代目春風亭柳朝-1973年4月〜1975年3月
- 三遊亭圓彌-1975年4月〜1980年3月
- 三遊亭小遊三-1975年4月〜1977年3月
- 三笑亭夢二-1975年4月〜1977年3月
- 柳家さん八-1975年4月〜1980年3月
- 3代目三遊亭歌奴-1975年4月〜1980年3月
- 桂文朝-1975年4月〜1980年3月
- 桂枝雀-1977年4月〜1978年3月
- 4代目三遊亭金馬-1977年4月〜1980年3月
- 春風亭小朝(アシスタント)-1975年4月〜1980年3月(1978年4月からパネラーとして出演)
- 「花の落語家六人衆(→五人衆)」(後期大喜利コーナー)レギュラー
- 立川談志-1980年4月〜1982年12月(談志降板後の後任は置かれず。1983年1月以降、ゲストパネラー枠に変更)。
- 5代目三遊亭圓楽-1980年4月〜1989年3月
- 5代目月の家圓鏡(1982年10月以降、8代目橘家圓蔵を襲名)-1980年4月〜1989年3月
- 春風亭小朝(「噺家横丁」から唯一続投)-1980年4月〜1990年1月(2月より司会に昇格)
- 桂枝雀-1980年4月〜1983年4月
- 初代林家三平-1980年4月〜10月(1980年9月20日に死去。生前最後の番組収録の模様は10月5日に追悼特別企画として放送され、この回の放送をもって降板扱いとなった。後任は置かれず、以後「五人衆」が定着)
- 柳家小きん(1985年10月以降、4代目桂三木助を襲名)-1983年5月〜1990年3月
- 桂小米朝-1989年4月〜1990年3月
- 林家こぶ平-1989年4月〜1990年3月
- 桂歌春-1989年4月〜1990年3月
- レギュラー欠席時の代役(準レギュラー格):鈴々舎馬風、三遊亭小遊三、柳家つば女、柳家権太楼ほか
- 主なゲストパネラー:三笑亭夢楽、桂歌丸ほか
- その他
- 針すなお(プレゼントコーナー担当)-1974年4月〜1980年3月
「演芸ひろば」時代
歴代司会
- 水島裕-1991年4月7日〜1992年3月29日
- 内海好江-1992年4月12日〜1993年4月7日(※当日は選抜高校野球中継による特別編成のため、水曜日に振替放送)
- 春風亭昇太-1992年4月12日〜1994年4月3日
- 渡辺正行-1993年4月11日〜1994年4月3日
- 桂米助-1993年4月11日〜1994年4月3日
「笑いがいちばん」時代
- 渡辺正行・麻木久仁子・ヨネスケ(司会)(1994年4月10日 - 8月28日)
- 渡辺正行(司会)/松居直美・きたろう・底ぬけAIR-LINE・みかずき組(コントレギュラー)(1994年9月11日 - 1995年3月26日)
- 1994年9月に大幅な番組リニューアルが行われ、司会者も含めたレギュラー陣が毎回同一の舞台設定の下でコントを演じながらゲスト出演者の演目を紹介するという構成に変更。以後、司会者交代と同時に設定を変更しながら2000年春改編までこの構成での放送が続けられた。
- 柳家小三治・ 松居直美(司会)/春風亭柳昇・三遊亭小遊三・月亭八方・春風亭昇太(コントレギュラー)(1995年4月8日 - 1998年3月7日)
- 松居は出産・育児準備のため1996年9月28日放送分-12月21日放送分まで一時降板(翌97年1月4日放送より復帰)。その間の代役は高橋真美が務めた。
- ヨネスケ・ 河合美智子(司会)(1998年4月4日 - 2000年3月11日)
- 爆笑問題(司会)(2000年4月9日 - 2002年3月24日)
- 爆笑問題・ 坂下千里子(司会)/BOOMER・ 阪田マサノブ(コントレギュラー)(2002年4月7日 - 2004年3月14日)
- 2002年4月からは渡辺(後期)→小三治・松居→ヨネスケ・河合時代と同様にレギュラーたちのコント(コントシリーズのタイトルはニュースいちばんとして位置づけられている)をベースとしてゲスト出演者の演目を紹介する構成に戻された。
- 阪田は2002年6月に放送された同番組のワールドカップ特別版にゲスト出演した後、同12月より正式にレギュラーに加入。
- 2004年度からの3年間はレギュラー・司会者を一切起用されず、ゲスト出演者(平均4〜5組程度)の演目の様子を、時に舞台裏からステージへと上がってゆく演者たちの表情やその合間にカメラマンらスタッフに向かって彼らが発したコメントなどと合わせつつ紹介するという構成となった。
- 林家正蔵・中川翔子(司会)(2007年4月8日 - 2010年3月14日)
- 林家正蔵・杉崎美香(司会)/ ぴろき(コーナーレギュラー)(2010年4月4日 - 2011年4月3日)[2]
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