竹槍
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竹槍術
「竹槍術」は、大日本帝国陸軍が1940年代に完成させ、1943年より大日本帝国の国民に教育された武術。竹槍術の「真髄ヲ体得シ必勝ノ信念ヲ養成スル」のための教本である『竹槍術訓練ノ参考』も、教育総監部によって制作された(生徒用と先生用の2種類がある)。なお、国立公文書館アジア歴史資料センターがネット公開している「竹槍術訓練の参考」は、帝国在郷軍人会台北支部が複写・頒布したものが、戦後に防衛省防衛研究所に収蔵されたもので、「竹槍術」は台湾や朝鮮など当時は日本だった諸地域でも教育されていた。
『竹槍術訓練の参考』は冒頭に「白兵戦ハ使術簡単ニシテ精練ナルモノ克ク勝ヲ制ス」との言があり、竹槍は明確に白兵戦のための「兵器」と位置付けられているが、同時に「銃代用」としての面や「心身ノ訓練陶冶」など、竹槍術の教練を通じた教育的要素も重視されている。
竹槍術においては「刺突」がもっとも重要視され、「気・槍・体」が一致していないと正しい刺突が行えないとされる。また、「一突必殺」と言う、精神的要素も重視されている。
なお、古武道における「竹槍術」には、「槍術」に「薙刀術」の要素も取り入れられ、敵を刺突するだけでなく、敵を押さえたり薙ぎ払ったりと言った実戦的要素が高められたものもあるが、教育総監部式の「竹槍術」は、そのような武道の達人ではなく老人・女性・小学生などの銃後の国民に対して、在郷軍人などが本土決戦が迫る中で短時間で白兵戦の教練を行うための物であるため、「一突必殺」だけである。
インドネシアに進出した日本軍が現地の人々に竹槍術を教えるために制作された、日本映画社ジャカルタ製作所による教育映画『TAKEYARI JUTSU Pemakaian Tombak bamboe』(1943)が存在する。竹槍を規格通りにメジャーで測って正確に裁断したり、竹槍の先を火で焙って固くしたり、屈強な日本兵が「突撃にぃー、進めッ!」の合図とともに大きな声を出しながら撃突台(竹槍訓練の時などに使う稽古用の的。軍教品として市販されていた)を次々と竹槍で刺していく様子など、『竹槍術訓練の参考』に書いてある通りのことだが、竹槍術の実際が映像で記録されている[26]。ちなみに「Pemakaian Tombak bamboe」とはマレー語で「竹槍術」の意味。
- ^ Monjali Dilapisi 1.500 Bambu Runcing(krjogja.com 参照日:2018.5.17)
- ^ 笹間良彦『図説 日本武道事典』柏木書房。
- ^ 太田牛一『別本御代々軍記』(「太田牛一旧記」
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- ^ 愛国陣営を見る 大阪時事新報、1932年12月17日
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- ^ 秦郁彦『昭和史の秘話を追う』 2012年
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- ^ Silat Bambu Runcing Dari Selaawi Catat Rekor Dunia - Infodesaku
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- ^ 『武器事典』p.136、市川定春、新紀元社、1996年
- ^ 『FM 3-05.70』12-7, Headquarters, Department of the Army, 2002
- ^ 『非常時の認識と青年の覚悟』p.38、荒木貞夫著、1934年、文明社
- ^ 『建国の肇に還れ』p.14、帝国傷痍軍人会佐賀県支部編、1936年
- ^ ファッシズムと大衆の支持、神戸又新日報、1932年5月9日、神戸大学附属図書館デジタルアーカイブ
- ^ 一例として、第二次上海事変で1937年に上海の東華紡績の工場に駐屯した輜重兵が竹槍を支給されたと記述する陣中日誌を挙げる。「陣中日誌 自昭和12年11月1日至昭和12年11月30日 輜重兵第114連隊第1中隊(2)」 アジア歴史資料センター Ref.C11111352600
- ^ 一例として、第二次長沙作戦で1942年に現在の湖南省長沙市長沙県陰山に駐屯した衛生班がバンザイ突撃を覚悟するところまで劣勢となった「竹槍を造り覚悟する」と題する陣中日誌を挙げる。「第2次長沙作戦2 明第9029部隊(衛生隊)その2」 アジア歴史資料センター Ref.C11112099600
- ^ [証言記録 市民たちの戦争]悲劇の島 語れなかった記憶 ~沖縄県・伊江島~ NHK 戦争証言アーカイブス
- ^ 『実録太平洋戦争 第5巻』p.14、1960年、中央公論社
- ^ 大森洋平『考証要集2 蔵出し NHK時代考証資料』文春文庫 ISBN 978-4-16-791198-0 P.167
- ^ Membuat Bambu Runcing untuk Perjuangan (1945) - youtubeの映像
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