社会生物学 習性学から行動生態学へ

社会生物学

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/08 17:37 UTC 版)

習性学から行動生態学へ

ハミルトンが提唱した血縁選択説のルーツは、ロナルド・フィッシャーJ・B・S・ホールデンの示したアイディアまで遡ることができる。しかしハミルトンが理論的な枠組みを完成させたことで、この説は進化生物学に大きな転換をもたらした。本来はアリやハチなど社会性生物に関する理論だったが、ジョージ・ウィリアムスE.O.ウィルソンリチャード・ドーキンスらによって、より幅広く、様々な生物の社会性の進化に適用できる理論であることが示された。

遺伝子中心視点主義

血縁淘汰説、ESS理論などの考え方を、一部の昆虫だけでなく様々な生物の形質に適用できる一般的な理論だと考え、更に先鋭なスタイルで表現したのが、リチャード・ドーキンスである。彼は、1976年に発表した「利己的な遺伝子」や「延長された表現型」(1982年)などの著作でこの考え方を広めた。この考え方は遺伝子中心視点主義と呼ばれるようになった(日本では利己的遺伝子論と呼ばれることが多い)。

自然選択の実質的な単位は、それが固体であれ群れであれ、たとえ何であっても常に利己的である。自己の適応度を高め、他者の適応度を低めるような性質を持っていなければ自然選択によって排除されるためである。先の血縁淘汰説があきらかにしたのは自然選択で選ばれている実質的な単位は遺伝子だということである。遺伝子は細胞の機能を介して生物の形質を作り上げる。生物たちは、その機能をもって競争し、競争に勝ったものだけがその子孫をのこし、それが進化をもたらす。ドーキンスは遺伝子が自分の作った生物個体という名の生存機械を使ってサバイバルゲームを演じている、と表現した。

この論理は生物学だけでなく社会一般に大きな衝撃を持って迎えられた。その表現のスタイルは、ウィルソン「社会生物学」の大胆な展望とともに激しい論争を引き起こした。特に利己的遺伝子という比喩表現は広く誤解を受けた。利己的遺伝子とは、遺伝子が利己的な考えを持っているという意味ではなく、また個体が常に自分勝手だという意味でもない。ただ単に自然選択の単位が遺伝子であることを表しているに過ぎない。1960年代から始まった社会生物学は急激にその論旨を展開していったが、現在では遺伝子中心視点主義は広く受け入れられている。

行動生態学の発展

このような新しい観点は、動物の行動の研究にもまったく新しい局面を切り開いた。 それまでの動物の行動に対する研究は、その習性が種の繁栄にとってどのように役にたつかという観点から論じられ、同じ種であればどの個体も基本的には同じ行動をとるものと考えられてきた。 しかし、血縁淘汰説が同種の個体同士は必ずしも協力しているのではなく、むしろ最も激しく生存競争をしている競争相手であると示したことにより、個体の行動が個々の個体にとってどのような意味があるかが考えられるようになった。たとえば性淘汰説では雄と雌ではそれぞれに最適な戦略は違うのではないか、といった分析がなされるようになった。そしてこれまで見逃されて来た多くの現象が明らかになってきた。

代替戦術の存在

ある種のハチでは、地下で蛹になり、羽化して地上にでる。この時、雄が先に羽化して地面に縄張りを作る。そしてその縄張り内から羽化してきた雌バチと交尾する。ほとんどの雌バチは地下から出たところで雄バチに捕まる. しかし、雄バチの目を逃れる雌バチが少数ながらおり、彼女らは次に花を訪れる。そこには先の縄張り作りの競争に負け、縄張りを作れない雄バチがいて、彼らは花に縄張りを作っている。つまり地面に縄張りを作れない場合は、代わりに雌の2番目の訪問先である花で縄張りを作るという代替作戦を持っているわけである。

このように、ほとんど融通が効かないとされてきた本能行動の中にも、主たる戦術が失敗したときの代替案が存在する事があきらかになってきた。このような行動はそれまでは例外やエラーとして無視されていたが、行動の意味を個体の視点から考えることで、例外ではなく有意義な行動であることが発見されたのである。

真社会性の発見

社会性動物の定義はそれまでは漠然としていた。しかし働きバチのような生殖をしない階級の重要性が認められた事で、社会性昆虫に見られるような繁殖をしない階級の存在するものを真社会性生物というようになった。真社会性を生む仕組みの解明は、それ以外の真社会性動物発見への方向性を示し、アブラムシや哺乳類ではハダカデバネズミ、甲殻類ではテッポウエビから真社会性のものが発見された。

子殺しの発見

インドに生息するハヌマンラングールという猿は、雄が多数の雌からなる群れを維持する。雄は成長すると群れを離れ、やがて力をつけると、群れをもつ雄と戦う。群れの雄を倒すと、その群れの雌と交尾をすることができるようになる。ところがこの群れ雄交代の時に、新しい雄が、群れの雌が育てている子供を殺すことが観察された。(1962年杉山幸丸) これはあまりにも衝撃的な行動であることから、当初は発見自体が疑問視されたが、同じようなハレム制を持つライオンでも、同様の行動が観察されたことと、社会生物学が受容されたことによってようやく認知されるにいたった。雄にとって、乗っ取った直後の群れにいるのは前の群れ雄の子であって血縁関係はない。しかも、子を育てている限りは雌は発情しないので繁殖できない。ハヌマンラングールにおいて雄が群れ雄の地位を維持できる期間は短いので、前の群れ雄の血を引く子供の独り立ちを気長に待つよりも、すみやかに子を殺し、雌の発情を促す行為の方が適応的である。アメリカヒレアシシギのような性役割の逆転した生物ではメスも子殺しをする。

互恵的利他主義

1971年にロバート・トリヴァースは血縁関係の無い個体間でどのようなときに利他的行動が進化するかを論じた。後にゲーム理論が適用され洗練された。ロバート・アクセルロッドマーティン・ノヴァクにより政治学にも応用されている。

親による子への投資、親子間の利害対立、兄弟間の利害対立

ロバート・トリヴァースは親の子育て行動を経済学の投資、利益、コストという概念を用いて説明できることを示した。親は自分の持つ有限資源(寿命、エサなど)をどのように自分の生存と子孫を残す努力へ振り分けるか常に判断を迫られている。つまり最も効率よく振り分けできた個体が繁栄する。親は獲得したエサを自分で食べるか、子に与えるか、自己の利益を最大化できる方を選ばなくてはならない。また子にとっては自分が親から与えられる子育ての労力は100%有意義であるが、50%しか遺伝子を共有していない兄妹たちへの子育てはその半分の価値しか持たない。鳥類に多く見られる「兄による弟殺し」は、兄弟間の対立であると同時に、親が予備として子を多めに産んで、第一子が上手く育ちそうなら弟を殺させるという、親子間の利害対立が原因だと考えられている。

性選択の再評価

1980年代から1990年代にかけて、概念的な理論であったランナウェイ説ハンディキャップ理論ESSとなりうることが示されると同時に、フィールドワークでも配偶者選好が実在することが確かめられ、存在を長らく疑われてきた性選択の再評価が始まった。

選択の単位論争

自然選択が働く単位は何かという論争は1960年代以降、現在でも継続中である。社会生物学の諸理論が提出される前は自然選択の単位を区別する事の重要性が十分に理解されていなかった。集団遺伝学や社会生物学では基本的に自然選択を受けて増減する単位を遺伝子(物理的な実体ではなく、情報としての)であると見なすが、系統選択や種選択、マルチレベル選択など遺伝子選択以外の理論も提唱されている、

これらの発展を受けて更に過激な論理も登場している。以下に例を示す。

遺伝子の投機的行動
例えば、鳥の雛はピヨピヨと大声で鳴くことが知られている。これはキツネカラスなどの外敵に自身の居る位置を教えてしまう事になりこの行動の説明は、今までの論理では困難であった。
イスラエルの生物学者、アモツ・ザハヴィによれば、この行動は、実は雛がキツネやカラスに自分の居場所を教える行動だという。つまり雛の親が早く餌を持ってきて、鳴き止ませないと、雛自身が外敵に食べられてしまう。親からすると自身の遺伝子を残そうとする投資(雛を生み育てること)を無(外敵に雛が食べられる)にしたくなければ、早く餌をもってこいと雛が親を脅迫していると主張している[2]
癌の発生
癌の発生は、遺伝子のミスコピーで発生することは良く知られている。しかし癌の肥大化はその宿り主である個体の死に至らしめるため、癌の発生メカニズムは行動生物学的に説明が難しかった。

  1. ^ Alcock,John Animal Behavior 2001. Sinauer, Sunderland
  2. ^ アモツ・ザハヴィ『生物進化とハンディキャップ理論』p198
  3. ^ ウリカ・セーゲルストローレは、このように単純に段階付けていない。(2005)『社会生物学論争史』(1)(2)垂水雄二訳、みすず書房。
  4. ^ ウリカ・セーゲルストローレ『『社会生物学論争史』、ラムズデンとウィルソン『精神の起源について』第2章「社会生物学論争」pp.56-66.
  5. ^ たとえば、U.セーゲルストローレ『社会生物学論争史』2(p.401)、バーバート・ギンタス『ゲーム理論による社会科学の統合』NTT出版、p.356.
  6. ^ a b ラムズデンとウィルソン『精神の起源について』p.66.
  7. ^ ラムズデンとウィルソン『精神の起源について』pp.66-68.
  8. ^ ラムズデンとウィルソン『精神の起源について』pp.68-75.
  9. ^ John Ziman (Ed.) Technological Innovation as an Evolutionary Process, Cambridge University Press,2000, p.9
  10. ^ 伊谷純一郎「霊長類社会構造の進化」『霊長類社会の進化』平凡社、1987年。第8章、p.209.
  11. ^ 伊谷純一郎「霊長類社会構造の進化」『霊長類社会の進化』平凡社、1987。第8章、p.301.
  12. ^ 黒田末寿『人類進化再考/社会生成の考古学』以文社、1999。
  13. ^ 伊谷純一郎「社会行動を作る行動」『霊長類社会の進化』平凡社、1987。第5章、pp.224-225. 黒田末寿『人類進化再考/社会生成の考古学』以文社、1999。pp.64-65. p.152.
  14. ^ E.O.ウィルソン『知の挑戦』角川書店、2002.特に第七章「遺伝子から文化へ」
  15. ^ 音喜多信博 2008 「文化的進化の自律性と倫理 : E・O・ウィルソンの「還元主義」に抗して」『金城学院大学キリスト教文化研究所紀要 』11: 21-35.


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