片山潜 関連項目

片山潜

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/03 23:58 UTC 版)

片山 潜(かたやま せん、1859年12月26日安政6年12月3日) - 1933年昭和8年)11月5日[1])は、日本労働運動家社会主義者マルクス主義者思想家社会事業家。号は深甫。


注釈

  1. ^ 阿川尚之『アメリカが見つかりましたか(戦前篇)』都市出版、1998年。阿川によると、『渡米案内』という片山の『自伝』引用される書物よると、「日曜日に教会に行く機会を得遂に耶蘇教徒となると得たり」と記しているのに、『自伝』では「予は耶蘇教徒になっても熱したこともなく、冷めたこともなかった、アンドーヴァー神学校に学んだ時は聖書を八つ裂きにして研究もしたが、耶蘇に対して変わった感情も持たなかった。最初から、余は耶蘇を神と思わなかったからであらう。」と記している。阿川は、モスクワに身を寄せたマルキスト片山によって、若いころ熱心なキリスト教徒であったのは具合が悪かったのだろうと述べている。

出典

  1. ^ 『国民年鑑 昭和10年』国民新聞社、1934年、p.550
  2. ^ a b c d e f g 『欧米遊蹤』岩崎清七、アトリエ社、1933、p139-
  3. ^ 辻野功「片山潜」『日本キリスト教歴史大事典』教文館、1988年、p297
  4. ^ Watanabe, A. (2008). “Classica Japonica: Greece and Rome in the Japanese Academia and Popular Literature”. Amphora 7: 6f. 
  5. ^ 社会問題の顕在化と早稲田大学
  6. ^ 労働世界6号
  7. ^ 日本社会政策学会史 関谷耕一
  8. ^ 片山潜 隅谷三喜男
  9. ^ 日本労働運動史料1 労働運動史料委員会編
  10. ^ 東京朝日新聞1933年11月7日付
  11. ^ 社会主義者沿革 明治文献資料刊行会
  12. ^ 『官報』第55号、大正元年10月5日、p.141
  13. ^ 世界各誌・紙|世界思潮研究会調査部訳|世界は日本の震災をいかに見たか|ARCHIVE”. ARCHIVE. 2024年1月27日閲覧。
  14. ^ コミンテルン中央幹部、モスクワで死去『大阪毎日新聞』昭和8年11月7日(『昭和ニュース事典第4巻 昭和8年-昭和9年』本編p56 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  15. ^ 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』付録「近代有名人の死因一覧」(吉川弘文館、2010年)8頁
  16. ^ ドミトリー・ヴォルコゴーノフ (1995). レーニンの秘密(下). 日本放送出版協会 
  17. ^ モスクワの赤の広場に眠る外国人 ロシア・ビヨンド(2021年12月28日)
  18. ^ a b c d 片山潜記念館(久米南町)津山瓦版、2017年09月21日
  19. ^ Aino Kuusinen (1974). Before and After Stalin. Michael Joseph 


「片山潜」の続きの解説一覧




片山潜と同じ種類の言葉


固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「片山潜」の関連用語



3
労働組合期成会 デジタル大辞泉
56% |||||

4
安部磯雄 デジタル大辞泉
56% |||||

5
片山 デジタル大辞泉
56% |||||

6
社会主義研究会 デジタル大辞泉
56% |||||

7
西川光二郎 デジタル大辞泉
56% |||||

8
高野房太郎 デジタル大辞泉
56% |||||



片山潜のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



片山潜のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの片山潜 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS