濤川惣助
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作品の特徴 ─無線七宝─
濤川の作品の特徴は無線七宝という革新的な技法を採用していることである。従来の有線七宝の製作においては釉薬を挿す際の色の間仕切り兼図柄の輪郭線として金線や銀線を利用していて、これが作品の図柄を引き立てる役割も担っていた。一方、無線七宝では最終的に釉薬を焼き付ける前の段階で敢えて植線を取り外している。これにより図柄の輪郭線がなくなり、それぞれの釉薬の境界で釉薬が微妙に混ざり合うことで微妙な色彩のグラデーションが生まれ、写実的で立体感のある表現や軟らかな表現を生み出すことが可能になっている。また、一つの作品の中で有線七宝と無線七宝を使い分けることによって、遠近感や水面に映る影を表現することにも成功している。
作品の図柄には日本画的なものが多く、柔らかな無線七宝の表現と調和するためか乳白色等の淡い色彩の地のものが多い。また宮内省から多くの作品の注文を受けており、明治天皇から外国要人へ送られた贈答品の花瓶には十六八重表菊紋がデザインされている。
濤川が手がけた代表作には、宮内省から製作を依頼された赤坂迎賓館(当時は東宮御所)の花鳥の間の壁面を飾る『七宝花鳥図三十額』(渡辺省亭原画)がある[6][7]。なお、依頼にあたっては並河靖之も候補に挙がったが、無線七宝の作品の表現が花鳥の間の雰囲気と合うという理由で濤川が選考されている。2009年には『七宝花鳥図三十額』も含めた赤坂迎賓館が国宝に指定されている。もうひとつの代表作が1893年のシカゴ万博に出展して高い評価を得た『七宝富嶽図額』(東京国立博物館蔵)で、2011年に重要文化財に指定されている[8]。
花瓶や小箱等の濤川の七宝作品の多くは輸出用や海外要人への贈答用に作られたため国内にはあまり残っていなかったが、現在では明治期の工芸品の買い戻しと収蔵に力を入れている清水三年坂美術館等で見ることが出来る。
- ^ 『官報』第7991号、明治43年2月15日。
- ^ 旭人物伝 旭市 2023年4月11日閲覧。
- ^ 『幕末・明治の工芸 ~世界を魅了した日本の技と工芸~』、村田理如著、淡交社
- ^ 『官報』第3901号、明治29年7月1日。
- ^ 『新聞集成明治編年史. 第十四卷』p.206
- ^ 内閣府赤坂迎賓館 公式サイト。省亭の原画は、東京国立博物館が所蔵。
- ^ 『国宝 迎賓館赤坂離宮 七宝の美』 茜出版、2011年9月1日。また、小宴の間の七宝「海の幸」「山の幸」も濤川の作(同著より)。
- ^ 文化庁公式サイト 文化庁月報 平成23年11月号 文化財の新指定・登録(美術工芸品)
- ^ このとき発行された絵葉書に修理の経緯と濤川惣助による七宝装飾について記載されている
- ^ a b 宮内庁三の丸尚蔵館編集 『明治美術の一断面―研ぎ澄まされた技と美 三の丸尚蔵館展覧会図録No.82』 東京美術、2018年11月3日、第11-12図。
- ^ 宮内庁三の丸尚蔵館編集 『慶びの花々 三の丸尚蔵館展覧会図録No.83』 宮内庁、2019年3月29日、第15図。
- 1 濤川惣助とは
- 2 濤川惣助の概要
- 3 略歴
- 4 作品の特徴 ─無線七宝─
- 5 万年自鳴鐘と濤川惣助
- 6 参考文献
濤川惣助と同じ種類の言葉
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