浅野セメント
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第一次世界大戦
第一次世界大戦で好景気になって、セメントの価格が高騰したが、浅野セメントは長期の大型工事への納入が多く、高騰以前の良心的な価格で納入したので、他社より利益率が低かった[36]。ところで、深川・川崎の両方の工場を稼働させるには、以前より大量の石灰石の供給を確保しなければならなかった。だが青梅鉄道の石灰石採掘場での採掘量があまり増えないので、1917年(大正6年)5月に浅野セメントは武甲山採掘場を持つ秩父鉄道から石灰石を購入する契約を結び、1918年(大正7年)12月には採掘権を取得して直営採掘場にした。他方で青梅鉄道は1917年(大正6年)10月に資本金を倍額増資して、日向和田〜二俣尾の延長線を建設して二俣尾駅近くの雷電山に新採掘場を開設することを決めた。その際に浅野セメントは持株比率を10%に上げた[37]。同年に西多摩郡小曽木村の黒沢山に六ケ所の採掘区域を開設して、採掘場と青梅鉄道を結ぶ専用鉄道を建設して機関車一両と貨車41両を購入して運転を青梅鉄道に委託したのだが、黒沢山採掘場の石灰石は早くも1919年(大正8年)9月に枯渇してしまった[38]。この頃に浅野セメントはセメント需要が「劇増」すると予想して、1918年(大正7年)10月に川崎工場に第二工場を建設し始めた。1919年(大正8年)の戦後ブーム(好景気)では、水力発電所工事などからの注文が集中して、セメント市価は半年で一樽8円台から15円台に急騰した。それでセメント増産のために石灰石の供給量を増やそうとして、1920年(大正9年)4月に浅野セメントは雷電山の採掘権を青梅鉄道から譲り受けて自社で石灰石を採掘し始めた。青梅鉄道は採掘場から二俣尾駅まで新たに側線を敷設して石灰石を運搬した。浅野セメントは発送量に応じた山代金と側線利用料を青梅鉄道に支払うようになった。同年7月には日向和田の採掘権も譲り受けて宮ノ平採掘場と命名した。雷電山では採掘場所から鉱車でインクラインを通って二俣尾引込線まで運搬する設備を造った。また、宮ノ平では高出力の削岩機用空気圧縮機やジャイレトリクラッシャといった新しい機械やチャーンドリルによる鑿井爆破といった新技術を導入した。その結果1922年(大正11年)には1919年(大正7年)の三倍以上の石灰石を採掘した[39]。
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