法政大学 研究

法政大学

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/26 02:09 UTC 版)

研究

文部科学省支援 研究プロジェクト

21世紀COEプログラム
  • 日本発信の国際日本学の構築(2002年)
私立大学戦略的研究基盤形成支援事業
  • マイクロ・ナノテクノロジーによる細胞内操作技術と生体機能模擬技術の開発(2008年)
  • 自治体とのネットワーク構築による政策形成の研究(2008年)
  • 国際日本学の方法に基づく<日本意識>の再検討―<日本意識>の現在・過去・未来(2010年)
  • 地域活性化のメカニズムと政策の研究(2011年)
  • エネルギー戦略シフトによる地域再生ー原子力依存度の漸減と地域自然エネルギーの振興(2013年)
  • グリーンテクノロジーを支える次世代エネルギー変換システム(2013年)
国際共同に基づく日本研究推進事業
  • 欧州の博物館等保管の日本仏教美術資料の悉皆調査とそれによる日本及び日本観の研究(2010年)
教育研究高度化のための支援体制整備事業
  • サステイナブルな社会システムデザインに関する研究(2009年)
私立大学研究ブランディング事業
  • 江戸東京研究の先端的・学際的拠点形成(2017年)

文部科学省支援 教育プロジェクト

大学教育・学生支援推進事業【テーマA】大学教育推進プログラム
  • 高度情報処理技術者を目指す学士力の育成(2009年)
新たな社会的ニーズに対応した学生支援プログラム(学生支援GP)
  • 「学生の力」を活かした学生支援体制の構築―クラス・ゼミ(正課教育)、クラブ・サークル(正課外教育)に次ぐ、『第3のコミュニティ』づくり―(2007年)
大学教育の国際化加速プログラム(長期海外留学支援)
  • 「長期海外留学・学位取得支援制度」の実施(2008年)
現代的教育ニーズ取組支援プログラム(現代GP)
  • 大規模私大での大卒無業者ゼロをめざす取組-学生が行う「キャリア相談実習」による職業意識の質的強化-(実践的総合キャリア教育の推進)(2006年)
  • 地域の中小企業活性化と実践的体験教育-コンサルティングと課題解決教育の構築-(地域支援分野)(2004年)
  • 新しい国際遠隔教育の構築に向けて-コンテンツ開発とオンデマンド教育-(IT教育分野)(2004年)
大学教育充実のための戦略的大学連携支援プログラム
  • 全国の地域で活躍できるプロフェッショナル<まちづくリスト>育成プログラム(2009年)
専門職大学院等における高度専門職業人養成教育推進プログラム
  • 諏訪地域「地力・知力アップ」人材育成講座(2008年)
社会人の学び直しニーズ対応教育推進プログラム
  • 地域づくりを担う人材の育成に向けた学び直しの遠隔授業プログラム(2007年)
  • 転職・再就職希望者に対する「トータルキャリア教育」(2007年)
大学生の就業力支援事業
  • 就業力を育てる3ステップシステム(2010年)

注釈

  1. ^ 同年には大学令準拠の経済教育機関として早稲田大学政治経済学部、中央大学経済学部、同志社大学法学部経済学科も設立された。
  2. ^ アメリカ人のル・ジャンドル(リセンドル)と同時受章。→日本の勲章の歴史
  3. ^ 法政大学創立三十周年記念式典では、堀田正忠(後の検察官)・橋本胖三郎(司法省法学校第1期生)・大原鎌三郎・元田直の4名も、東京法学社の創立者として顕彰されている。なお、堀田と橋本は、治罪法刑事訴訟法)の起草がボアソナードに委ねられた1877年(明治10年)以前に、[[司法省 (日本)|]]において治罪法の編纂にあたっていた同僚である(司法省刑事局編「旧刑法、治罪法及旧刑事訴訟法編纂沿革(一)」『法曹会雑誌』8巻8号、116頁)。
  4. ^ 他の3名は、山崎直胤(内務省初代県治局長)、平山成信(後の宮中顧問官、枢密顧問官)、栗塚省吾(後の大審院判事)。
  5. ^ 初代会長は辻新次。名誉会員には伏見宮貞愛親王徳川昭武(第15代将軍徳川慶喜の弟、水戸藩第11代藩主)、徳川篤敬(水戸徳川家第12代当主)、鍋島直大(佐賀藩第11代藩主)、蜂須賀茂韶(徳島藩第14代藩主)、太田資美(掛川藩第7代藩主)、大木喬任(元老院議長、枢密院議長)、山田顕義(司法大臣)、ボアソナード等が名を連ねている(「仏学会・東京仏学校関係文書をひも解く」『法政』2004年12月)。
  6. ^ 「法政」の名称について野上豊一郎はのちに「梅先生は政治科をつくったことをたいへん自慢していたから、法律のと政治のを一緒にしたのでは」と語っている(『法政大学の100年 <1880-1980>』 42頁)。
  7. ^ 9月26日の校友会臨時大会で富井政章を次期総理に推薦することに決定したが、富井は病身を理由に就任を拒んだ(『法政大学百年史』 188頁)。
  8. ^ a b 「法政の球場──実は試合のための借球場は一時一ッ橋内にあつたが大正八九年頃となつて球場はまだ麦畑に包まれてゐた中野新井薬師裏に移つた、移つたといふより戻つて来たといふ方が適切であるかも知れない、なぜなら、このグラウンドは大正四年に野球部の創立と共に誕生してゐたからである」(『東京朝日新聞』 1936年9月9日)
  9. ^ 「法政は新しいグラウンドを中野の新井薬師近くに作ったものの、工事はかどらずとあって、神田橋にほど近い中央気象台の敷地予定地を一時借りて仮グラウンドとしたのであった。神田橋グラウンドは法政の中野球場が完成するまでのあくまで仮のグラウンドであった。」(大和球士 『真説 日本野球史《大正篇》』 ベースボール・マガジン社、1977年、100頁)
  10. ^ はじめは吉野作造北沢新次郎を講師に招き、やがて大杉栄堺利彦らとも接触し、日本初のメーデーおよび日本社会主義同盟にも参加した(『法政大学八十年史』 63頁)。
  11. ^ 「本校生徒の五分の三以上を占めてゐる、経済部から出た提議であるが文科からは芙蓉大学と云ふ新名を提議したことがある」(『東京朝日新聞』 1924年4月8日付朝刊7面
  12. ^ 大正期には黒のソフトハットと背広を学部生の制服として採用したことがあった(『法政大学八十年史』 724頁)。
  13. ^ 松室は18年間にわたって学長として法政大学の発展に尽くしたが、長期独裁の弊害もあったと指摘されている(大村八郎 『帝都大学評判記』 三友堂書店、1934年、192-193頁および196-201頁)。
  14. ^ 法政騒動の背景について野上弥生子は「一高東大、それから漱石門下の云々といったようなものは出ていくべきだ」という一種の法政民族主義があったのだろうと語っている(『法政大学百年史』 235頁)。
  15. ^ 美濃部亮吉など4名が検挙され、また戦後に法大総長となる大内兵衛(東大教授)と有沢広巳(東大助教授)もこのとき検挙されたが(『法政大学百年史』248-249頁)、法大関係者や大内・有沢らいわゆる学者グループは、全員無罪となった(『法政大学百年史』521頁)。
  16. ^ 戦前派デモクラットとしての大内兵衛は民主的な学生運動を否定しなかったが、学園の秩序を著しく乱す者に対しては処分やむなしとの考えを抱いていた(『法政大学と戦後五〇年』 106-109頁)。
  17. ^ 中央労働学園大学の学長兼理事長だった村山重忠が初代学部長に就任(『法政大学百年史』 581-584頁)。
  18. ^ 富士見食堂は営利本位で「高くて、まずくて、少ない」と学生から不評を買っていたため(『法政大学と戦後五〇年』 176-184頁)
  19. ^ 有沢総長も「人間の尊厳、民主主義、大学の自由と自治、独立」を訴え、教職員・学生2500名が抗議デモに向かった(『法政大学と戦後五〇年』 194頁)。
  20. ^ 法学部自治会を中心とする学生たちも別集会で清水幾太郎吉本隆明両氏の講演を聞いた後、国会正門前に向かった(『法政大学と戦後五〇年』 194頁)。
  21. ^ 当初は工学部移転用地とすることも検討されたが実現しなかった(『法政大学と戦後五〇年』 553-555頁)。
  22. ^ それまで大原社研の収蔵資料は53年館など3か所に分散していた(『法政大学と戦後五〇年』 987-988頁)。
  23. ^ 文学部は移転反対、法学部と工学部は日和見、経営学部は賛否両論拮抗して身動きがとれなかった(『法政大学と戦後五〇年』 253頁、549-550頁)。
  24. ^ 1988年度に1年生全員の多摩移転完了(『法政大学と戦後五〇年』 557頁)
  25. ^ 解体工事は1992年と93年の2度にわたって反対派によって阻止された(『法政大学と戦後五〇年』 1399-1400頁)。
  26. ^ この小川町校舎に移転した東京法学校について、『明治法律学校二十年史』(1901年)は、「自ら校舎を購入し、而も煉瓦造にして、地は学術上の形勝たる神田小川町に在り、気勢軒昂、将に明治法律学校を撲滅せすんは止まさらんとす」と評している(同書 29頁)。
  27. ^ 「九段上」は行政地名ではなく通称であり、所在地は富士見町6丁目16番地であった。現在の衆議院九段議員宿舎跡地の東隣にあたる(間に小道を挟む)。
  28. ^ 内田百閒によれば、その頃の九段上校舎は学生から「豚小屋」と呼ばれていたという(『深夜の初会 内田百閒集成21』 ちくま文庫、27頁)。
  29. ^ 大学令第7条により、「大学に必要なる設備またはこれに要する資金」を有することが、大学昇格の条件のひとつとされていた(『法政大学八十年史』257頁)。
  30. ^ 市ケ谷再開発反対を訴える学生団体の妨害行動によって解体工事は2度にわたって阻止された(『法政大学と戦後五〇年』 323-326頁)。
  31. ^ のちに大教室を分割して応急の小教室を設けた(『法政大学と戦後五〇年』 675頁)。
  32. ^ 3月24日に法学部(法律科・政経科)に改組されたが、4月1日に再び法律科は法律学科に改称、政経科は政治学科に改組された(法政大学百年史年表 55頁 『法政大学百年史』所収)。
  33. ^ a b c 2年次に選択。
  34. ^ 1年次から各科目群の科目を履修できる。このほか、法律学科、国際政治学科との共通科目などがある
  35. ^ 2年次に選択するが、他コースの科目も履修できる。
  36. ^ ヤナセユニーカルビーの各社長(いずれも本学経営学部卒業)によるパネルディスカッションを行った「ホームカミングデー」と「マイケル・ポーター(ハーバード大学経営大学院教授)特別講演会」を市ケ谷キャンパスにて開催し、その様子は2009年12月26日日本経済新聞朝刊にも掲載された。経営学部創設50周年記念事業 も参照。
  37. ^ 文部科学省の課程認定により、2016年度入学生からは高校地歴は取得不可。その後、2018年度入学生からは中学社会・高校公民も取得不可に変更。
  38. ^ 2014年7月まで副駅名が「法政大学前」だった。
  39. ^ 神奈川中央交通の「ツインライナー」は慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスへの乗り入れ実績がある。

出典

  1. ^ 法政大学略年表”. 法政大学. 2017年6月1日閲覧。
  2. ^ a b 「日本最古の私立法律学校として発足」法政大学法学部公式サイト
  3. ^ スーパーグローバル大学に37校 国際化へ文科省選定(日本経済新聞 2014年9月26日)、「スーパーグローバル大学」に37校(NHKニュース 2014年9月28日)
  4. ^ 実志願者数ランキング 2019年2020年2022年朝日新聞出版による調査データ)
  5. ^ 法政大学憲章、ミッション・ビジョン、理念・目的
  6. ^ a b 日本初の通信教育部設置大学
  7. ^ 『法政大学と戦後五〇年』 582頁
  8. ^ a b c 大学院について 歴史・沿革
  9. ^ 公務人材育成センター
  10. ^ [1]
  11. ^ 学内でできる国際交流”. 法政大学グローバル教育センター. 2019年10月22日閲覧。
  12. ^ 法政大学の歴史”. 法政大学. 2019年4月12日閲覧。
  13. ^ 法政大学史跡「法政大学発祥の地」記念碑
  14. ^ 「代言人規則」第22条、明治13年(1880年)5月13日
  15. ^ 法政大学イノベーション・マネジメント研究センター・洞口治夫編『大学教育のイノベーター 法政大学創立者・薩埵正邦と明治日本の産業社会』書籍工房早山、2008年
  16. ^ 日本近代法の父”. 神奈川弁護士会. 2015年10月2日閲覧。
  17. ^ 天皇陛下のおことば「国賓 フランス大統領閣下及びトリエルヴェレール女史のための宮中晩餐」フランス文英文宮内庁、平成25年(2013年)6月7日
  18. ^ 大久保泰甫『ボワソナアド-日本近代法の父』岩波書店、1977年
  19. ^ a b 『官報』第1452号「省令」、明治21年(1888年)5月5日
  20. ^ 『官報』第1563号「告示」、明治21年(1888年)9月12日
  21. ^ 『法政大学校友名鑑』1941年
  22. ^ 「仏学会・東京仏学校関係文書をひも解く」『法政』2004年12月
  23. ^ 「仏学会総会報告綴」(日仏協会)、富田仁「佛學會のこと」(図書新聞1981年11月21日、11月28日両号)。さらに『法律学の夜明けと法政大学』(法政大学大学史資料委員会・編、法政大学発行1992年)より「仏学会と東京仏学校―もう一つの源流」(安岡昭男)
  24. ^ 「学制の制定」『学制百年史』文部科学省
  25. ^ 『官報』第1534号「告示」、明治21年(1888年)8月9日
  26. ^ 『官報』第1860号「告示」、明治22年(1889年)9月9日
  27. ^ 岸本辰雄名村泰蔵らの言(大槻文彦『箕作麟祥君伝』丸善、1907年、96-97頁)
  28. ^ 森田宏樹「梅謙次郎」『法学教室』185号(1996年)48頁
  29. ^ 個人文庫・コレクション解説/ルボン文庫 法政大学図書館
  30. ^ 沿革|校友会とは|一般社団法人 法政大学校友会
  31. ^ 「法政大学校友名鑑」(1941) p.6
  32. ^ 沿革|校友会とは|一般社団法人 法政大学校友会
  33. ^ 専修大学出版局 『専修大学百年史』 上巻、1981年、607-621頁
  34. ^ 拓殖大学創立百年史編纂専門委員会編『拓殖大学百年史』明治編、拓殖大学、2010年、64-70頁
  35. ^ 『法政大学百年史』205頁
  36. ^ HOSEI MUSEUM Vol.24 法政大学 市ケ谷キャンパス内史跡 アーネスト・サトウゆかりの屋敷跡と市ケ谷キャンパス
  37. ^ 学制百年史 三 学生思想問題と教学刷新:文部科学省
  38. ^ a b 内田百閒と法政大学”. HOSEI ONLINE (2014年1月20日). 2020年11月3日閲覧。
  39. ^ a b c d 『法政大学八十年史』 523頁
  40. ^ 東京六大学応援団連盟OB会 『東京六大学応援団連盟36年の歩み 応援団・六旗の下に』 ユーゴー、1984年、107頁
  41. ^ a b 『法政大学百年史』 210頁
  42. ^ 『官報』 1924年5月22日
  43. ^ 『法政大学八十年史』 710頁
  44. ^ 『法政大学八十年史』 716頁
  45. ^ 羅馬(ローマ)に通ふ道一つ〜内田百閒と学生文化の開花〜”. HOSEI ONLINE (2019年10月1日). 2020年11月3日閲覧。
  46. ^ HOSEI MUSEUM Vol.35 法政大学校歌誕生エピソード 佐藤春夫・近衛秀麿の論争の末に生まれた名校歌|法政大学
  47. ^ 法政大学百年史年表 34頁(『法政大学百年史』所収)
  48. ^ a b 『法政大学八十年史』 437頁
  49. ^ 法政大学百年史年表 38頁(『法政大学百年史』所収)
  50. ^ a b 『法政大学百年史』 234頁
  51. ^ 『法政大学百年史』 251頁
  52. ^ 『東京朝日新聞』1934年1月21日
  53. ^ 法政大学百年史年表 40頁(『法政大学百年史』所収)
  54. ^ a b c 法政大学 市ケ谷キャンパス内史跡”. HOSEI ONLINE (2016年5月2日). 2020年11月3日閲覧。
  55. ^ a b 法政大学百年史年表 43頁(『法政大学百年史』所収)
  56. ^ a b 学徒出陣 - 法政大学
  57. ^ 『法政大学と戦後五〇年』 10頁
  58. ^ HOSEI ONLINE 「自由と進歩」の体現者〜三木清と戸坂潤〜
  59. ^ 『法政大学と戦後五〇年』 22-23頁
  60. ^ 『法政大学百年史』 740頁
  61. ^ a b 『法政大学と戦後五〇年』 1336頁
  62. ^ 『法政大学八十年史』 538-539頁
  63. ^ a b 法政大学百年史年表 59頁(『法政大学百年史』所収)
  64. ^ 法政大学大原社会問題研究所 『大原社会問題研究所100年史』 法政大学出版局、2020年、9頁
  65. ^ 工学部は設置見送り(『法政大学百年史』 554-555頁)。
  66. ^ 『法政大学と戦後五〇年』 84-87頁
  67. ^ 『法政大学百年史』 557-558頁
  68. ^ 『法政大学百年史』 274-275頁
  69. ^ 『法政大学と戦後五〇年』 94-112頁
  70. ^ 『法政大学百年史』 275-276頁
  71. ^ 『法政大学と戦後五〇年』 112-122頁
  72. ^ 『法政大学八十年史』 540頁
  73. ^ 『法政大学と戦後五〇年』 157-159頁
  74. ^ 『法政大学百年史』 655頁
  75. ^ 大学紛争後の1971年廃止(『法政大学百年史』 753頁)。
  76. ^ 『法政大学百年史』 656頁
  77. ^ 法政大学百年史年表 73頁(『法政大学百年史』所収)
  78. ^ 『法政大学百年史』 658頁
  79. ^ 『法政大学と戦後五〇年』 194-198頁
  80. ^ 法政大学百年史年表 77頁(『法政大学百年史』所収)
  81. ^ 『法政大学百年史』 296-297頁
  82. ^ 『法政大学と戦後五〇年』 199頁
  83. ^ 『法政大学と戦後五〇年』 1344頁
  84. ^ 『法政大学百年史』 311-312頁
  85. ^ 『法政大学と戦後五〇年』 201頁
  86. ^ 『法政大学と戦後五〇年』 202-205頁
  87. ^ 『法政大学百年史』 328-332頁
  88. ^ 『法政大学と戦後五〇年』 243頁
  89. ^ a b c d HOSEI MUSEUM Vol.24 法政大学 市ケ谷キャンパス内史跡 アーネスト・サトウゆかりの屋敷跡と市ケ谷キャンパス”. 法政大学 (2011年10月27日). 2020年11月3日閲覧。
  90. ^ きょうも試験中止 法大『朝日新聞』1977年(昭和52年)1月20日、3版、10面
  91. ^ 第二部(夜間部)は市ケ谷に残留。
  92. ^ 法政大学大原社会問題研究所略年譜
  93. ^ 「法大理事ら4人逮捕 東京地検 熊谷組などから7億円詐取容疑」(『朝日新聞』 1990年6月27日夕刊1面)
  94. ^ 理事らに実刑の判決 法政大学用地詐欺」(『朝日新聞』 1995年4月25日夕刊14面)
  95. ^ 『法政大学と戦後五〇年』 295-305頁
  96. ^ 『法政大学と戦後五〇年』 572-673頁
  97. ^ 『法政大学校友連合会報』2004年1月1日、10面
  98. ^ 大原ネットワーク
  99. ^ 法政大、明治大、関西大図書館相互利用の方法 :: 法政大学 図書館
  100. ^ 大原社会問題研究所100周年記念事業
  101. ^ a b お知らせ 相原駅西口~法政大学間(神奈川中央交通)の連節バス導入について 法政大学、2021年03月22日、2021年4月15日閲覧。
  102. ^ 法政大学の歴史と個性を発信する新しい空間〜ミュージアム・サテライト小金井/市ケ谷〜 | 法政を知る | HOSEI ONLINE | 読売新聞オンライン 2023年3月18日閲覧。
  103. ^ 『法政大学百年史』 58-59頁
  104. ^ a b 『法政大学百年史』 58頁
  105. ^ a b c 上林敬次郎「我等が母校在学時代を偲ぶ」『法政大学報』(1935年)、横山寛平「法政大学五十年観」『法政大学五十周年記念講演集』(1928年)等
  106. ^ 『法政大学百年史』 59頁
  107. ^ 『明治法律学校二十年史』 28頁
  108. ^ 「建物売渡之証」
  109. ^ a b 「仏学会経費収入支出表」(明治19年10月-同20年10月、明治20年11月-同21年10月)
  110. ^ 東京理科大学所蔵「小川町校舎買入証」
  111. ^ a b 『法政大学百年史』 123頁
  112. ^ a b HOSEI MUSEUM Vol.65 「梧桐の旧校舎」九段上校舎”. 法政大学 (2013年10月31日). 2020年11月3日閲覧。
  113. ^ a b c d 『法政大学百年史』 208頁
  114. ^ 官報』 1941年3月18日
  115. ^ 『東京朝日新聞』1922年1月20日、『大阪朝日新聞』1922年1月20日
  116. ^ 営繕管財局 『大正大震災震害及火害之研究』洪洋社、1925年、83-84頁
  117. ^ 『法政大学八十年史』 259頁・520頁、『法政大学百年史』 635頁
  118. ^ 『法政大学百年史』 209頁
  119. ^ a b 『法政大学八十年史』 521頁
  120. ^ 法政フォトジャーナル 2007年4月26日 「デザイン工学部開設記念 第一校舎顕彰イベントを開催」
  121. ^ 「法・慶両大学を捜索 地下室に人血反応 法大構内事件との関連を追及」朝日新聞、1970年8月12日付、夕刊9頁
  122. ^ 法政大学百年史年表 88頁(『法政大学百年史』所収)
  123. ^ 『法政大学百年史』 958-959頁
  124. ^ 東京急行電鉄社史編纂事務局編 『東京急行電鉄50年史』 1973年、128頁
  125. ^ 『法政大学百年史』959頁
  126. ^ a b 『法政大学八十年史』 532頁
  127. ^ 『法政大学八十年史』 535頁
  128. ^ 『法政大学と戦後五〇年』 6頁
  129. ^ 法政大学野球部の歴史
  130. ^ 『法政大学百年史』 882-883頁
  131. ^ HOSEI MUSEUM Vol.92
  132. ^ 「ガラス張りの大学院」『朝日新聞』1953年2月10日
  133. ^ 『朝日新聞』1953年7月22日
  134. ^ 『法政大学の100年<1880-1980>』133頁
  135. ^ a b 『法政大学八十年史』 18頁
  136. ^ a b c 大学史編纂室 (2012年6月21日). “ボアソナード博士 胸像物語”. 法政大学. 2020年11月3日閲覧。
  137. ^ 『法政大学と戦後五〇年』 311頁
  138. ^ 『法政大学の100年<1880-1980>』 136頁
  139. ^ 『法政大学百年史』 284頁
  140. ^ a b 「疲れずに七階へ ノートみながら登れる傾斜路」『朝日新聞』1954年12月31日
  141. ^ 『法政大学新聞』1958年10月25日
  142. ^ a b 市ケ谷キャンパス55・58年館建替工事について” (2013年12月20日). 2020年11月3日閲覧。
  143. ^ 市ケ谷キャンパス55・58年館建替工事の竣工について” (2021年2月10日). 2022年6月11日閲覧。
  144. ^ メモリアルコリドー”. 2022年6月11日閲覧。
  145. ^ a b 『法政大学八十年史』 724頁
  146. ^ 『法政大学八十年史』 710頁
  147. ^ 法政大学校歌誕生エピソード 佐藤春夫・近衛秀麿の論争の末に生まれた名校歌 - 法政大学
  148. ^ 名校歌を生んだ「法政スピル」 - 法政大学
  149. ^ よき師よき友つどひ結べり 〜佐藤春夫と法政大学校歌〜 - 法政大学
  150. ^ 團伊玖磨 『好きな歌・嫌いな歌』 読売新聞社、1977年、45-46頁
  151. ^ 法政大学 法政大学について 概要 法政大学校歌』(プレスリリース)法政大学http://www.hosei.ac.jp/hosei/gaiyo/koka/index.html2010年7月8日閲覧 
  152. ^ 東京六大学応援団連盟OB会 『応援団・六旗の下に:東京六大学応援団連盟36年の歩み』 ユーゴー、1984年、272頁
  153. ^ 『応援団・六旗の下に:東京六大学応援団連盟36年の歩み』 273頁
  154. ^ 『応援団・六旗の下に:東京六大学応援団連盟36年の歩み』 273頁
  155. ^ 『応援団・六旗の下に:東京六大学応援団連盟36年の歩み』 272頁
  156. ^ 『応援団・六旗の下に:東京六大学応援団連盟36年の歩み』 272-273頁
  157. ^ 『応援団・六旗の下に:東京六大学応援団連盟36年の歩み』 274-275頁
  158. ^ 『応援団・六旗の下に:東京六大学応援団連盟36年の歩み』 273頁
  159. ^ 『応援団・六旗の下に:東京六大学応援団連盟36年の歩み』 274頁
  160. ^ 『応援団・六旗の下に:東京六大学応援団連盟36年の歩み』 274頁
  161. ^ 東京音譜研究会編 『大学・高等学校・専門学校全国有名校歌集:楽譜付』 博進堂書店、1930年、47頁
  162. ^ 校歌・応援歌|一般社団法人 法政大学校友会
  163. ^ 『応援団・六旗の下に:東京六大学応援団連盟36年の歩み』 275頁
  164. ^ 法政大学略年表:法政大学
  165. ^ 法政大学百年史年表 55頁(『法政大学百年史』所収)
  166. ^ 『法政大學新聞』2009年後期号「経営学部50周年 学部長インタビュー」記事による。
  167. ^ [2]
  168. ^ ミュージアム・サテライト小金井竣工記念 法政理工系のあゆみ(前編) 〜度重なる校舎移転のなかで発展〜
  169. ^ ミュージアム・サテライト小金井竣工記念 法政理工系のあゆみ(後編) 〜念願のキャンパス〜
  170. ^ 法政大学ホームページ 収容定員・現員・収容定員超過率(2005~2013年度)
  171. ^ 法政大学通信教育部ホームページ 総長メッセージ
  172. ^ 『法政大学百年史』 732-733頁
  173. ^ 『法政大学百年史』 738頁
  174. ^ 『法政大学百年史』 739-740頁
  175. ^ 『法政大学百年史』 741-743頁
  176. ^ 『法政大学百年史』 749-751頁
  177. ^ 『法政大学と戦後五〇年』 964-967頁
  178. ^ 法政大学図書館 図書館概要 図書館紹介
  179. ^ 一般社団法人 法政大学校友会(旧:法政大学校友連合会)
  180. ^ 法政大学法学部同窓会
  181. ^ 法政大学経済学部同窓会
  182. ^ 法政大学工学部同窓会
  183. ^ 法政大学社会学部同窓会
  184. ^ 法政大学高等学校同窓会
  185. ^ 法政大学第二高等学校同窓会
  186. ^ 法政大学女子高等学校同窓会
  187. ^ 法政大学千代田学協定
  188. ^ 市ケ谷キャンパス アクセスマップ
  189. ^ 衆院、新九段宿舎建設へ 毎日新聞 2019年12月26日
  190. ^ a b 富士見ゲート”. 2020年11月3日閲覧。
  191. ^ a b 市ケ谷キャンパス新校舎名称が「富士見ゲート」に決定しました” (2015年11月20日). 2020年11月3日閲覧。
  192. ^ 大内山校舎”. 2020年11月3日閲覧。
  193. ^ 市ケ谷キャンパス新校舎名称が「大内山校舎」に決定しました” (2018年3月23日). 2020年11月3日閲覧。
  194. ^ 外濠校舎”. 2020年11月3日閲覧。
  195. ^ 80年館(図書館)”. 2020年11月3日閲覧。
  196. ^ a b 市ケ谷キャンパス スポーツ施設”. 2020年11月3日閲覧。
  197. ^ a b 法政大学市ヶ谷田町校舎”. 山下設計. 2020年11月3日閲覧。
  198. ^ a b グノーティセァウトン”. 法政大学. 2020年11月3日閲覧。
  199. ^ 『法政大学の100年 <1880-1980>』 134頁
  200. ^ 新見附校舎”. 2020年11月3日閲覧。
  201. ^ 法科大学院棟”. 2020年11月3日閲覧。
  202. ^ 新一口坂校舎”. 2020年11月3日閲覧。
  203. ^ 「2018年度 事業報告書」学校法人法政大学、9頁、25頁
  204. ^ HOSEIミュージアムの段階的開館について”. HOSEIミュージアム (2020年6月15日). 2020年11月3日閲覧。
  205. ^ 一口坂校舎”. 2020年11月3日閲覧。
  206. ^ 九段校舎・九段校舎別館”. 2020年11月3日閲覧。
  207. ^ a b c d e f 市ケ谷キャンパス 学生食堂”. 2020年11月3日閲覧。
  208. ^ ボアソナード・タワー”. 2020年11月3日閲覧。
  209. ^ a b 法政大学市ヶ谷キャンパス 富士見ゲート オレンジホール”. コトブキシーティング (2017年9月21日). 2020年11月3日閲覧。
  210. ^ 法政大学社会学部(編)法政大学社会学部50年誌 2002年10月11日 141 - 149頁「社会学部と多摩キャンパス」
  211. ^ “めじろ台駅~法政大学間(京王電鉄バス)の連節バス導入について”. 法政大学. (2021年6月29日). https://www.hosei.ac.jp/info/article-20210626092649/ 
  212. ^ 法政大学ホームページ 学内店舗・食堂紹介ページより
  213. ^ 法政大学ホームページより。
  214. ^ 白馬山荘の運営を2017年2月28日に終了 法政大学、2016年12月22日
  215. ^ 法政大学ホームページ 登録団体掲載ページより
  216. ^ 『法政大學新聞』記事、学園祭資料などから。
  217. ^ 1980年代半ばから1990年代頃から「自主法政祭」と称していた。
  218. ^ 『法政大学百年史』 560頁
  219. ^ 野球部 : 法政大学”. 2020年11月8日閲覧。
  220. ^ 自転車競技部 : 法政大学”. 2020年11月8日閲覧。
  221. ^ 法政大学ボクシング部
  222. ^ 法政大学 学生数・教職員数・卒業生累計データ
  223. ^ 学生ワークショップから考える外濠の再生について 4.外濠と法政の学生(千代田区ホームページ)
  224. ^ 法政大学 Campus photo あらかると「外濠公園と法政大学」
  225. ^ 法政大学第三者評価委員会
  226. ^ 法政大学グリーンユニバーシティを目指して
  227. ^ ロケ地ガイド-ちゅらさんロケ地ガイド-こころ より。
  228. ^ 舞台モデルは法政大学か アニメ「ゴールデンタイム」特報映像公開!(KAI-YOU.net)
  229. ^ 株式会社エイチ・ユー






固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「法政大学」の関連用語

法政大学のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



法政大学のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの法政大学 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS