沖縄諮詢会 背景

沖縄諮詢会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/06 04:14 UTC 版)

背景

1945年3月26日アメリカ軍沖縄県慶良間諸島に上陸し、続いて4月1日には沖縄本島に到達して日本軍と熾烈な地上戦を展開し、これを占領した(沖縄戦)。米軍はチェスター・ニミッツ海軍元帥の名で軍政府布告(ニミッツ布告)を発布し、南西諸島における日本の支配の停止とアメリカによる支配を宣言した。4月5日には読谷村比謝に米国軍政府が設置され、6月23日牛島満第32軍司令官の自決により、日本軍の組織的抵抗が終わり、9月7日の降伏文書調印で名実ともに沖縄は米軍の支配下に入った。

そうした中、軍政府は沖縄の民間人を12の民間人収容所に強制収容した。8月15日、軍政府は石川民間人収容所に128人の民間人を招集し、全島住民代表者会議を開催した。この会議の結果、中央政府設立の準備機関として沖縄諮詢会の設置が決められる[3]

委員選出の過程

当時MISに属していた日系二世マサジ・マルモト英語版中尉の証言によれば、彼は6月20日に来島した際に「避難民収容所を回って指導的地位にあるものを捜索せよ」という命令を受けた。丸本らは6週間かかって150人をリストアップして「石川会議」の代議員とし、最終的に126人の各地区代表者が石川収容所に集められたが、代表者の中には、あらかじめ軍から志喜屋孝信旧制開南中学校元校長)を委員長に選ぶよう言われた者もいた。また、会議の目的を知らされない者もいた。軍政府のモードック中佐は、仮諮詢会の冒頭で会議の目的を次の3つとした。

  1. 諮詢会委員15人を選ぶ
  2. 民意代表機関設立の案を示す
  3. 軍に対する要望や疑問に回答する

また委員の構成について、軍政府は、

  1. 農業部、商工部など専門の知識、技能を有する人
  2. 各社会階級の代表者を
  3. 一部の地域に偏しないよう
  4. 日本の軍部、帝国主義者と密接な関係を持つ者は望まない
  5. 米国の機嫌のみをとって自己の利益を考えているものを排したい。
  6. 誠心誠意沖縄の福祉に対して強硬に率直に述べることのできる方を望む。

と説明した。特に5. の米国の機嫌をとるのを望まないという部分は参加者の印象に残ったという。8月15日中には委員候補24人が選ばれ、8月25日に15人の委員が選ばれた。

しかし、委員の選出は一見民主的であったが、軍政府は沖縄統治にとって都合が悪いと判断した人物、例えば大政翼賛会に関与していた平良辰雄当間重剛ら、また本土復帰を早くから唱えていた仲吉良光らなどをあらかじめ排除していた。また、前述の通り、志喜屋を委員長に選出するための工作も行われていた[4]

「民意代表機関」をめぐって

上述の通り、軍政府は仮諮詢会の目的の一つに「民意代表機関」について議論することを挙げていた。実際、民意代表機関については活発な議論がなされたが、2回の仮諮詢会では結論が出ず、「組織、方法につきては諮詢委員会に一任する」こととなった。結局、民意代表機関は1950年群島議会の設置まで持ち越された[5]


注釈

  1. ^ 諮詢会記録にも名称の混乱が見られる。
  2. ^ 沖縄県庁の宮古支庁(現・沖縄県宮古事務所)と八重山支庁(現・沖縄県八重山事務所)は存続し、それぞれ県庁の権限を委譲され、単独の行政を行うことを米国軍政府に命ぜられた。

出典

  1. ^ 仲地 2001, p. 108.
  2. ^ 沖縄県公文書館 1945年8月20日「沖縄諮詢会」発足
  3. ^ 新城俊昭『教養講座 琉球・沖縄史』東洋企画、p. 328
  4. ^ 仲地 2001, pp. 98–99.
  5. ^ 仲地 2001, pp. 101–103.
  6. ^ 仲地 2001, p. 111.
  7. ^ 仲地 2001, p. 113.





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