毛利宗広 経歴

毛利宗広

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/24 16:35 UTC 版)

経歴

享保2年(1717年7月6日萩城で生まれる[1][2]。長兄で嫡子だった宗元が享保6年(1721年)に早世したため世嗣となる。享保12年(1727年)に松平大膳と称し、諱を維広とする[2]。同年、将軍・吉宗から偏諱を受け宗広と改名する[2]。享保16年(1731年)、吉元の死去により家督を相続し15歳にして藩主に就く[1][2]

その施政は、岡山藩の倉安川を参考に萩城下に藍場川を造成し、水運の便を図ったり、神社仏閣の建設にも力を入れた。治世中の出来事として、寛保2年江戸洪水の手伝い普請がある。

寛延4年(1751年2月4日、35歳で死去した[1]。世嗣となる男児がいなかったため、支藩である長府藩から重就末期養子として迎えられた。

系譜

偏諱を受けた人物

※死後
  • 毛利重(重就の養子。宗広の遺言により娘婿となり、重就の嫡子となるも早世)

脚注


  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 時山弥八編 1916, p. 100.
  2. ^ a b c d e f g h i 吉田 1976, p. 236.
  3. ^ 時山弥八編 1916, p. 101.


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