武州鉄道
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廃線後
現在も残る廃線跡
武州鉄道の蓮田駅は駐輪場となっている。駐輪場から先、公民館の裏手までは駐車場となっているが、すぐに住宅地に埋もれてしまう。蓮田市立蓮田南小学校付近までは土地の形状から探ることができるが、その先は区画整理が行われた地区で、線路の痕跡はない。
さいたま市岩槻区に入った馬込駅跡付近から線路跡は道路となって現れ、人間総合科学大学蓮田キャンパスの東側で国道122号と交差する。直進して東北自動車道・国道122号蓮田岩槻バイパスと交差し、平林寺の河合幼稚園付近まで続く。その先線路跡は畑や住宅となっているが、畑と畑の境界線や土地の形状から容易に線路跡が判別できる。平林寺公民館が線路跡に建っている。住宅地に入った御幸町・日の出町でも、土地が道路の方向に合わない不自然な向きになっていることから線路跡が判別できる。東武野田線と交差し、浄安寺の前を通過する。埼玉県道2号さいたま春日部線との交差した先の家が岩槻本通駅跡である。
岩槻本通駅から岩槻駅跡までは住宅地に飲み込まれているが、土地の形状から容易に探ることができる。線路跡はさいたま市立岩槻中学校の敷地を通過している。岩槻駅跡はさいたま市立太田小学校付近である。
線路跡は東町二丁目交差点のすぐ西側で国道16号岩槻春日部バイパスと交差し、浮谷バス停付近で埼玉県道324号蒲生岩槻線に飲み込まれるが、さいたま市立城南小学校を過ぎた先で右手方向に分かれてゆく。目白大学岩槻キャンパスに入る道は武州鉄道の跡を利用したものである。目白大学から先は一直線に続く。土地の形状から線路跡が容易に判別でき、一部は道路や駐車場になっている。埼玉県中古自動車販売商工組合の事務局付近を通過し、綾瀬川にいたる地点まで線路跡がはっきりしているが、その先は区画整理地区に飲み込まれている。以前は伝右川と交差する地点に橋台が残されていたが、浦和美園駅周辺の開発により2013年の時点で撤去されている。埼玉スタジアム2002の西側から、線路跡は東北自動車道となって、神根まで至る。この付近では、東北自動車道は武州鉄道の用地を利用して建設された。
昭和50年代の終わり頃まで、浮谷地区には掘割の路線跡が残されており、笹久保地区には土盛の築堤跡とともに数箇所の橋台が残されていた。しかし、全線に渡り線路を残した廃線跡は皆無であった。浮谷地区の廃線跡は現在の目白大学に埋もれている。武州大門駅 - 神根駅間は、東北自動車道と国道122号の用地として大部分が転用された。
岩槻区南下新井の酒屋「たねや」の倉庫として、浮谷駅の倉庫が使われていた。現在は閉業している。
廃線後の交通機関
- 旧武州鉄道の路線跡を縫うように1952年(昭和27年)1月、国際興業バスが鳩ヶ谷(浦寺) - 風渡野(ふっとの、七里駅近く) - 蓮田駅前間の乗合バス路線を開設した。現在も国際興業バスで鳩ヶ谷駅 - 蓮田駅間を移動することは可能であるが、現在のルートは当時の経由ルートとは大きく異なる岩槻駅を経由するルートで、東川口駅・岩槻駅で系統が分割されている(「国際興業バス鳩ヶ谷営業所#川口駅 - グリーンセンター - 戸塚安行駅・東川口駅線」、「国際興業バスさいたま東営業所#岩槻駅 - 目白大学 - 浦和美園駅・東川口駅北口線」を参照)
- 浦和大門付近から赤羽方面への路線は、埼玉高速鉄道線の開業により、約60年目にして実現した。埼玉高速鉄道には、その先、武州鉄道が営業していた岩槻・蓮田方面への延伸計画もある。ただし、埼玉高速鉄道の免許は新規に取得したものであり、武州鉄道のものを継承したわけではなく、経由地も異なる。
- ^ 東武野田線の岩槻駅とは別の駅
- ^ 当初は併用軌道を走る電車(軌道条例)として申請していたがのちに専用軌道を走る電気鉄道(軽便鉄道法)に変更し社名も中央電気軌道から中央軽便電気鉄道に変更(No.1「軽便鉄道敷設免許ノ件」14-23頁『第十門・私設鉄道及軌道・三、軽便鉄道・武州鉄道(元中央鉄道)自明治四十三年至明治四十五年』)
- ^ No.10「監査役改選就任登記済届」『第十門・私設鉄道及軌道・三、軽便鉄道・武州鉄道(元中央鉄道株式会社)・営業廃止・大正元年~大正五年』
- ^ 『岩槻市史』通史編、1985年、1027-1028頁
- ^ 本多は地元重役と対立があったという(白土貞夫「本多貞次郎と政界活動」『鉄道ピクトリアル』No.632、127頁)
- ^ 『人事興信録. 9版(昭和6年)』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『地方鉄道軌道営業年鑑』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 飯山實「武州鉄道について」『浦和市史研究』NO.2、179頁
- ^ "武州鉄道 その五 ~生きている武州鉄道~ 武州鉄道顕彰会". ウェブらうんじ【岩槻版】. 10 October 2017. 2021年5月8日閲覧。
- ^ 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1910年11月11日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 板橋の醤油製造業者。東上鉄道発起人(澤内一晃「東武鉄道東上線の歴史過程」『鉄道ピクトリアル』No.880)
- ^ No.3「発起人追加及起業目論見書変更ノ件」13頁『第十門・私設鉄道及軌道・三、軽便鉄道・武州鉄道(元中央鉄道)明治四十三年至明治四十五年』
- ^ No.5「会社設立届」『第十門・私設鉄道及軌道・三、軽便鉄道・武州鉄道(元中央鉄道)明治四十三年至明治四十五年』
- ^ 『日本全国諸会社役員録. 第20回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1913年9月13日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1924年10月25日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ No.22「田中臨時停車場設置ノ件」『第十門・地方鉄道及軌道・二、地方鉄道・武州鉄道・営業廃止・大正十年~大正十五年』
- ^ 「鉄道免許状下付」『官報』1928年2月4日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1929年1月18日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b 「鉄道免許取消」「鉄道免許失効」『官報』1935年6月3日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「鉄道起業廃止」『官報』1938年9月3日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「鉄道運輸営業廃止実施」『官報』1938年9月29日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ No.17「岩槻蓮田間運輸営業開始ノ件」8頁『第十門・地方鉄道及軌道・二、地方鉄道・武州鉄道・営業廃止・大正十年~大正十五年』
- ^ 「宇佐参宮鉄道ヘ機関車譲渡ノ件」『第十門・地方鉄道及軌道・二、地方鉄道・武州鉄道・営業廃止・大正十年~大正十五年』(国立公文書館 デジタルアーカイブ)
- ^ 手続き上は1928年譲受となっている。No.5「機関車譲受使用ノ件」1928年1月、No.10『機関車竣功ノ件通牒』『第一門・監督・二、地方鉄道・武州鉄道・営業廃止・昭和二年~昭和六年』
- ^ 「東北本線沿線に失われた私鉄の接続駅を訪ねる3 蓮田 武州鉄道 そのIII」112-113頁
- ^ 澤内一晃「南海の二軸客車」『鉄道ピクトリアル』No.835
- ^ No14「車両譲受ノ件」『第十門・地方鉄道及軌道・二、地方鉄道・武州鉄道・営業廃止・大正十年~大正十五年』
- ^ No.29「北総鉄道ニ客車譲渡ノ件」『第十門・地方鉄道及軌道・二、地方鉄道・武州鉄道・営業廃止・大正十年~大正十五年』竣功図4頁
- ^ No.9「車両譲受ノ件」『第十門・地方鉄道及軌道・二、地方鉄道・武州鉄道・営業廃止・大正十年~大正十五年』
- ^ No.10「貨車譲受ノ件」『第十門・地方鉄道及軌道・二、地方鉄道・武州鉄道・営業廃止・大正十年~大正十五年』
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