東鹿越駅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/01 07:07 UTC 版)
貨物取扱
JR貨物の駅は車扱貨物の臨時取扱駅(事実上の休止駅)となっていた。
前述したように、当駅の設置理由であった日鉄鉱業東鹿越鉱業所へ続く専用線が接続していたが、1997年(平成9年)3月に釧網本線中斜里駅で接続するホクレン農業協同組合連合会中斜里製糖工場向けの1日1往復(末期の本数)の石灰石輸送列車が廃止されて以降、貨物列車の発着はなく、そのまま2024年4月1日付で廃駅となった。貨物設備や接続する専用線もなかった。
利用状況
旅客
乗車人員の推移は以下のとおりであった。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。
また、「JR調査」については、当該の年度を最終年とする過去5年間の各調査日における平均である。
年度 | 乗車人員 | 出典 | 備考 | ||
---|---|---|---|---|---|
年間 | 1日平均 | JR調査 | |||
1946年(昭和21年) | 118,000 | (323.3) | [4] | 年度替わり直前の1946年(昭和21年)3月1日に一般駅化 | |
1955年(昭和30年) | 126,000 | (345,2) | |||
1992年(平成 | 4年)(68.0) | [9] | 1日平均乗降客数136人 | ||
2012年(平成24年) | 1 | [JR北 4] | 以下、1日平均はJR北海道の同年の特定の平日の調査日の数値 | ||
2013年(平成25年) | 0 | ||||
2014年(平成26年) | 0 | ||||
2015年(平成27年) | 1 | ||||
2016年(平成28年) | 49 | 10.2 | 同年度から東鹿越 - 新得間被災によりバス代行 | ||
2017年(平成29年) | 57 | 21.4 | [JR北 5] | ||
2018年(平成30年) | 44 | 30.2 | [JR北 6] | ||
2019年(令和元年) | 45 | 39.2 | [JR北 7] | ||
2020年(令和 | 2年)45 | 48.0 | [JR北 8] | ||
2021年(令和 | 3年)38 | 45.8 | [JR北 9] | ||
2022年(令和 | 4年)24 | 39.2 | [JR北 10] |
貨物
当駅発の石灰石発送トン数は以下の通りであった。
年度 | 年間発送トン数(t) | 出典 | 備考 |
---|---|---|---|
1942年(昭和17年) | 105,000 | [4] | 前年度に専用線を接続する信号場として新設。 |
1946年(昭和21年) | 59,000 | 年度替わり直前の1946年(昭和21年)3月1日に一般駅化 | |
1955年(昭和30年) | 197,000 |
駅周辺
設置の経緯からもともと駅前には集落がなく、駅背後の日鉄鉱業鉱業所に附随して住宅街があるのみであった[10]。
また、駅と石灰石鉱山は空知川が作り出した谷の中腹に設けられていたが[10]、後年金山ダム建設によって空知川の水位が上昇し、駅前は人造湖のかなやま湖となっている。
このほか、駅から谷を下った空知川のほとりには農村もあったが[10]、かなやま湖に没している。
注釈
- ^ 高炉製鉄においては、高炉に鉄鉱石や燃料のコークスと共に石灰石を投入する。これによりシリカやアルミナなどの不純物が石灰石と反応して鉄より先に溶融し分離し、鉄鋼スラグとなる。
- ^ 当鉱山の石灰石を用いて当地で炭酸カルシウム肥料を製造し、当駅より発送。
- ^ てんさいから絞られた粗糖汁に消石灰を投入し、タンパク質、ペクチン等を凝集させ、さらにそこに炭酸ガスを吹き込むことで、炭酸カルシウムを生じさせ、非糖分凝集物を吸着する。
- ^ パルプは木材を苛性ソーダを含む液で煮ることで製造される。この際生じる苛性ソーダを含んだ廃液を燃焼処理後に水に溶解させ、生石灰を投入すると、苛性ソーダ溶液と炭酸カルシウムとなり、苛性ソーダを回収することが可能である。
出典
- ^ a b c 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、876頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
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- ^ a b c d e f 『南富良野村史』南富良野村役場、1960年5月10日、532-535, 538頁。doi:10.11501/3449181 。
- ^ a b c d e f g 『南富良野村史』南富良野村役場、1960年5月10日、574-575頁。doi:10.11501/3449181 。
- ^ a b 大蔵省印刷局, ed (1946‐02-28). “運輸省告示 第55号”. 官報 (国立国会図書館デジタルコレクション) (5736). doi:10.11501/2962244 .
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- ^ 鉄道省運輸局 編『貨物営業粁程表 昭和17年5月31日現在』大日本教化図書、1942年、232頁。doi:10.11501/1124899 。
- ^ “日本国有鉄道公示第168号”. 官報. (1982年11月13日)
- ^ 宮脇俊三、原田勝正 著、二見康生 編『北海道630駅』小学館〈JR・私鉄各駅停車〉、1993年6月20日、110頁。ISBN 4-09-395401-1。
- ^ a b c 『南富良野村史』南富良野村役場、1960年5月10日、741頁。doi:10.11501/3449181 。
JR北海道
- ^ a b c 『一連の台風による石勝線・根室線の災害復旧の状況について』(PDF)(プレスリリース)北海道旅客鉄道、2016年10月13日。 オリジナルの2018年9月5日時点におけるアーカイブ 。2018年9月5日閲覧。
- ^ a b 『根室線(富良野・新得間)の鉄道事業廃止届の提出について』(PDF)(プレスリリース)北海道旅客鉄道、2023年3月31日。 オリジナルの2023年3月31日時点におけるアーカイブ 。2023年3月31日閲覧。
- ^ “根室線 東鹿越駅〜新得駅間 バス代行輸送の実施について” (PDF). 北海道旅客鉄道 (2017年3月22日). 2017年5月16日閲覧。
- ^ “駅別乗車人員(2016)” (PDF). 線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)(地域交通を持続的に維持するために). 北海道旅客鉄道株式会社. p. 2 (2017年12月8日). 2018年8月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年8月17日閲覧。
- ^ “根室線(富良野・新得間)” (PDF). 線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)(地域交通を持続的に維持するために). 北海道旅客鉄道. p. 3 (2018年7月2日). 2018年8月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年8月18日閲覧。
- ^ “根室線(富良野・新得間)” (PDF). 線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)(地域交通を持続的に維持するために). 北海道旅客鉄道. p. 3 (2019年10月18日). 2019年10月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年10月18日閲覧。
- ^ “根室線(富良野・新得間)” (PDF). 地域交通を持続的に維持するために > 輸送密度200人未満の線区(「赤色」「茶色」5線区). 北海道旅客鉄道. p. 3 (2020年10月30日). 2020年11月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年11月4日閲覧。
- ^ “駅別乗車人員 特定日調査(平日)に基づく”. 北海道旅客鉄道. 2022年8月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月14日閲覧。
- ^ “駅別乗車人員 特定日調査(平日)に基づく”. 北海道旅客鉄道. 2022年9月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月3日閲覧。
- ^ “駅別乗車人員 特定日調査(平日)に基づく”. 北海道旅客鉄道. 2023年11月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年11月10日閲覧。
新聞記事
固有名詞の分類
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