東京録音現像 東京録音現像の概要

東京録音現像

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/06/09 17:17 UTC 版)

東京録音現像株式会社
種類 株式会社
市場情報 消滅
略称 目黒スタジオ、東京録音現像所、目黒現像所
本社所在地 日本
東京都目黒区下目黒4丁目999番地(現在の同区下目黒6丁目15番22号)
設立 1950年前後
事業内容 劇場用映画・テレビ映画ラジオ番組録音スタジオ
映画用フィルムの現像
放送用の音楽録音
スチル写真の製作
代表者 金井喜一郎 (創業社長)
今田富雄 (後継社長)
関係する人物 若松孝二
金井政幸
特記事項:1974年閉鎖
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沿革

  • 1950年前後 - 金井喜一郎が設立、代表取締役社長に就任[1]
  • 1961年7月16日 - 金井喜一郎が死去、今田富雄が後任の代表取締役社長となる[7]
  • 1974年 - 閉鎖[6]

概要

第二次世界大戦終了後の1950年(昭和25年)前後に、金井喜一郎(1901年 - 1961年)が設立した[1]。金井は、日本で最初にアニメーション映画をつくった人物の一人である北山清太郎の助手からスタートし、1921年(大正10年)に設立された北山映画製作所英語版の創立メンバーとして、初期アニメーションの撮影を手がけ、戦時中の1940年代前半には、都商会文化映画部の代表として、ドキュメンタリー映画の製作・演出を手がけていたた人物である[8]。戦後の金井は、新しく設立した都映画社で引き続き映画製作を行う[1]とともに、伊藤武郎らの独立プロである独立映画の監査役も務めていた[9]

記録にみるもっとも古いクレジットは、1954年(昭和29年)のもので、教育映画や記録映画、短篇アニメーション、低予算の独立プロ系作品の録音スタジオ、現像場としての機能を果たしていた[2][3][4][5]。1961年(昭和36年)7月16日、創立社長である金井が亡くなると[1][8]、後継者として社長に就任したのは、愛光商会社長の今田富雄であった[7]。今田が社長に就任するとともに、愛光商会取締役今田潔、金井喜一郎の長男である金井政幸(ダークダックスの「ゾウ」こと芸名遠山一)も取締役に就任している[10]。「目黒スタジオ」あるいは「東京録音現像」のクレジットが盛んにみられるようになるのは、今田の社長就任以降、いわゆるピンク映画の録音・現像を多く受注してからである[2][3][4][5]。とくに鷲尾飛天丸が代表を務める日本シネマフィルム(のちの日本シネマ)、若松孝二が代表を務める若松プロダクション木俣堯喬が代表を務めるプロダクション鷹の製作物を多く受注した[2][3][4][5]。ネガフィルムの現像から録音・編集、初号プリントの作成まで手掛けることができるポストプロダクションとして成長し、1967年(昭和42年)に発行された『映画年鑑 1967』には「いまや業界のトップレベルをうたわれる存在」と書かれた[10]

1974年(昭和49年)を最後にクレジットの記録からその名が消えるが[2][3][4][5]、同年、同社は閉鎖されたという[6]。1978年(昭和53年)に発行された『映画年鑑 1978』には、すでにその社名すら記載されていない[11]。1974年4月に設立され、以降、1990年代まで目黒区東山に存在したニューメグロスタジオには、代表取締役社長の出口良二、常務取締役の杉崎喬、取締役技術部長の福田伸、監査役に高島小二郎が在籍したが[12]、彼らはもともと東京録音現像出身であり、出口が営業部長、杉崎と福田は録音技師、高島は録音部長であった[10][13]

独立行政法人国立美術館が2005年(平成17年)に発表した『平成16年度独立行政法人国立美術館事業実績統計表』によれば、同社は、『情炎の波止場』(監督安田公義、製作大映東京撮影所、1951年6月8日公開)、『女学生の寝室』(監督武田有生、製作光映画、1968年公開)、『谷ナオミ しびれる』(監督姿良三、製作新東宝映画、1978年公開)、『性の完全犯罪』(監督久我剛、製作六邦映画、1973年6月公開)、『谷ナオミ脱ぐ』(詳細不明、1978年公開)、『さすらいの悶え』(監督秋津隆二、製作六邦映画、1973年8月公開)、『性のピンチ』(監督秋津隆二、製作六邦映画、1973年9月公開)の7作の上映用プリント等を東京国立近代美術館フィルムセンターに寄贈した[14]

2013年(平成25年)現在、跡地にはタイ王国大使館武官事務所が建っている。

企業データ


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  1. ^ a b c d e f 時事[1962], p.201.
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x 東京録音現像目黒スタジオ日本映画データベース、2013年4月16日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k 目黒スタジオ、日本映画情報システム、文化庁、2013年4月16日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i 目黒スタジオKINENOTE, 2013年4月16日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg bh bi bj bk bl bm bn bo bp bq br bs bt bu bv bw bx by bz ca cb cc cd ce cf cg ch ci cj ck cl cm cn co cp cq cr cs ct cu cv cw cx cy cz da db dc dd de df dg dh di dj dk dl dm dn do dp dq dr ds dt du dv dw dx 東京録音現像目黒スタジオ東京国立近代美術館フィルムセンター、2013年4月16日閲覧。
  6. ^ a b c 佐藤[2007], p.323.
  7. ^ a b 時事[1962], p.136.
  8. ^ a b 津堅[2007], p.159-162.
  9. ^ 国民[1958], p.209.
  10. ^ a b c 時事[1967], p.292, 392.
  11. ^ 時事[1978]
  12. ^ 時事[1981], p.207.
  13. ^ 時事[1967], p.501.
  14. ^ 平成16年度独立行政法人国立美術館事業実績統計表独立行政法人国立美術館、2014年4月22日閲覧。
  15. ^ 主な所蔵リスト 劇映画 邦画篇マツダ映画社、2013年4月16日閲覧。


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