来迎院 (龍ケ崎市) 来迎院 (龍ケ崎市)の概要

来迎院 (龍ケ崎市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 02:43 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
来迎院
来迎院の本堂
所在地 茨城県龍ケ崎市馴馬町2362
位置 北緯35度55分4.6秒 東経140度10分15.2秒 / 北緯35.917944度 東経140.170889度 / 35.917944; 140.170889座標: 北緯35度55分4.6秒 東経140度10分15.2秒 / 北緯35.917944度 東経140.170889度 / 35.917944; 140.170889
山号 箱根山
宗旨 天台宗
創建年 永正14年(1517年)草創、弘治2年(1556年)伽藍建立
正式名 箱根山宝塔寺来迎院
文化財 多宝塔(国の重要文化財
法人番号 4050005007783
テンプレートを表示

歴史

永正14年(1517年)、常陸国河内郡小野村(現・稲敷市小野)の逢善寺によって、同郡馴馬村に建てられた草堂が当寺の起源と伝える。弘治2年(1556年)、延暦寺の覚仙が当地に伽藍を建立し一世となった。以後の歴史は判然としないが、江戸の寛永寺の援助で堂宇の再興が行われており、同寺との関係が深かったものと推定される。[1]

寛永8年(1631年)玄幸が再興し、寛政3年(1791年)、寛永寺から二百両を拝領して庫裡・本堂が再建されている。

文化財

重要文化財(国指定)

来迎院多宝塔
  • 多宝塔 - 関東以北に残る数少ない中世多宝塔の例[2]。通常の三間多宝塔で、屋根は杮葺き。初層内部は後方寄りに来迎柱を立て、須弥壇を設ける。初層の地垂木上に柱盤を設け、上層の柱はそこから立つ。相輪宝珠の刻銘から、当地の守護で江戸崎城主であった土岐治英の援助で弘治2年(1556年)に建立されたものとみられる[3]。施行には当時、現在の茨城県南部地方で活動していた前嶋大工が関わっている。細部の建築様式や、同時期の建立である西蓮寺仁王門(天文12年・1543年建立)との比較から、来迎院多宝塔の建立も16世紀半ばとみられる[4]。修理は1860年安政7年)、1894年明治27年)、1919年大正8年)、1961年昭和36年)、1998年平成10年) - 2001年(平成13年)に行われた。[5]

境内


  1. ^ 『月刊文化財』519号、pp.9 - 10
  2. ^ 「多宝塔」は円形塔身の一重塔に裳階を付した形が原形であるが、構造的には方形の初層の上に円形の上層を乗せた二重塔である。
  3. ^ 刻銘には「弘治2年修繕」とあるが、重要文化財指定時の文化庁の説明では、建築様式や他の同時代建築との比較から、弘治2年を実質的な建立年としている。
  4. ^ 『月刊文化財』519号、pp.9 - 10
  5. ^ 龍ケ崎市歴史民俗資料館パンフレット 2010年3月15日発行


「来迎院 (龍ケ崎市)」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「来迎院 (龍ケ崎市)」の関連用語

来迎院 (龍ケ崎市)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



来迎院 (龍ケ崎市)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの来迎院 (龍ケ崎市) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS