来迎院 (埼玉県杉戸町)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 来迎院 (埼玉県杉戸町)の意味・解説 

来迎院 (埼玉県杉戸町)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/27 19:08 UTC 版)

来迎院
所在地 埼玉県北葛飾郡杉戸町清地1-6-16
位置 北緯36度01分36.5秒 東経139度44分04.5秒 / 北緯36.026806度 東経139.734583度 / 36.026806; 139.734583座標: 北緯36度01分36.5秒 東経139度44分04.5秒 / 北緯36.026806度 東経139.734583度 / 36.026806; 139.734583
山号 花光山[1]
院号 来迎院
宗派 真言宗豊山派
本尊 不動明王[1]
創建年 建久3年(1192年
開基 田村秀時(袒願坊幻夢)
中興年 天正5年(1577年
中興 宥休
法人番号 8030005007798
来迎院
来迎院 (埼玉県)
テンプレートを表示

来迎院(らいこういん)は、埼玉県北葛飾郡杉戸町にある真言宗豊山派寺院

歴史

1192年建久3年)、田村秀時の開基である。当寺の本尊運慶作と伝えられる不動明王で、奥州藤原氏の守護仏とされていたという。1189年文治5年)の奥州合戦で、田村秀時は主君の命により不動明王を持ち出し、陸奥国田村郡三春(現・福島県田村郡三春町)で隠れていた。その後、秀時は当地に移住、「袒願坊幻夢」を名乗り、この不動明王像を本尊とする寺「袒願寺」を創建した[2]

その後の戦乱で寺は焼失し、勢至堂のみが残された。1577年天正5年)に宥休によって中興された。その時に「来迎院」と称することになった[2]

交通アクセス

脚注

  1. ^ a b 新編武蔵風土記稿 清地村.
  2. ^ a b インデックス編集部 編『訪ねてみたい埼玉のお寺』インデックス、2006年、120-121p

参考文献

  • インデックス編集部 編『訪ねてみたい埼玉のお寺』インデックス、2006年
  • 「清地村 来迎院」 『新編武蔵風土記稿』 巻ノ35葛飾郡ノ16、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763980/52 



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  来迎院 (埼玉県杉戸町)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「来迎院 (埼玉県杉戸町)」の関連用語

1
70% |||||

来迎院 (埼玉県杉戸町)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



来迎院 (埼玉県杉戸町)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの来迎院 (埼玉県杉戸町) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS