日誉源貞 日誉源貞の概要

日誉源貞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/03 03:55 UTC 版)

幼少時に病弱であったため仏門に入り[2]鴻巣勝願寺の住職・円誉不残に師事して同寺の第6代住職となった[3]元和4年(1618年)、武蔵国赤山領を拝領した兄の忠治からの依頼で古寺を再興して源長寺と名付け伊奈氏の菩提寺とし、開山に円誉不残を迎えた[4]。その後、秩父惣圓寺の開山上人として入寺。寛永18年11月15日(1641年12月17日)、紫衣を賜ると、のちに関東十八檀林筆頭である鎌倉光明寺の37世住職となり[3][4]、さらに京都知恩院の大僧正を務めた[1]

慶安5年7月19日(1652年8月22日)に死去[3][1]。法名は玉蓮社日誉上人源貞大和尚[1]

脚注


注釈

  1. ^ 『伊奈家系譜略』(杉浦家文書)による記述[1]。『寛政重修諸家譜』によれば幼名は「縫殿助」、俗名は「忠武」と記されている[2]

出典

  1. ^ a b c d e 伊奈町教育委員会 編 『伊奈町史 別編 伊奈氏一族の活躍』伊奈町、2008年、81頁。 
  2. ^ a b 藤原氏(支流) 伊奈」 『寛政重修諸家譜』 第5輯、國民圖書、1923年、899-900頁https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1082718/458 
  3. ^ a b c 鴻巣市市史編さん調査会 編 『鴻巣市史 資料編 4 近世 2』鴻巣市、1996年、548頁。 
  4. ^ a b 金箱文夫 『さきたま文庫31 源長寺 川口』柳田敏司 監修、さきたま出版会、1991年、28-29頁。ISBN 4-87891-231-6 


「日誉源貞」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「日誉源貞」の関連用語

日誉源貞のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



日誉源貞のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの日誉源貞 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS