新生党
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/31 07:39 UTC 版)
注釈
- ^ 前身政党は自由民主党であるが、母体となったのは政策集団・改革フォーラム21である[1]。
- ^ 西川太一郎から荒川区の地盤継承した志村博司が当初の自民党候補から選挙期間中に各級選挙通じて初の新生党公認候補に鞍替えも落選、大田区で自民党公認で再選した松原仁が移籍し、台東区で無所属で当選した中山義活と会派「新生・友愛クラブ」を結成。
- ^ 1993年8月12日に議員総会を開催し、細川内閣発足に伴い役員体制を常任幹事会へ移行した。
- ^ 村山内閣発足に伴い、下野の責任を取り小沢が代表幹事辞意を表明するも慰留され、常任幹事の拡大と顧問会議を新設した。反小沢派の奥田敬和や愛野興一郎などが党役員に選任された。
出典
- ^ a b c ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 - 新進党. コトバンク. 2019年3月20日閲覧。
- ^ デジタル大辞泉 2018年3月31日閲覧
- ^ a b c d e 橋本五郎, 水野雅之. 新生党(しんせいとう)とは - コトバンク 日本大百科全書(ニッポニカ) 2018年3月31日閲覧.
- ^ “17年前にも「創新党」 小沢氏ら、新生党旗揚げ時に検討”. MSN産経ニュース (産経新聞社). (2010年4月19日) 2010年4月20日閲覧。[リンク切れ]
- ^ a b 『平成政治史 1』, pp. 186–189.
- ^ 第80代総理大臣 羽田孜【歴代総理列伝】 - TBS NEWS、 2022年4月22日閲覧。
- ^ 「新生党参加者」時事通信、1993年6月24日
- ^ 「相次ぎ「代行体制」、危機の社党、久保氏に白羽」時事通信、1993年8月15日
- ^ 「新党協議に反小沢色、奥田敬和氏、黒子役で人事見直し」北國新聞、1994年9月11日
固有名詞の分類
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