御幸村 (神奈川県) 行政

御幸村 (神奈川県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/29 07:56 UTC 版)

行政

歴代村長

カッコ内は就任期間[6]

  1. 鳥養弥兵衛(1892年5月 - 1904年4月[6]) - 初代村長[7]
  2. 榎木勇次郎(1904年5月 - 1913年5月[6]
  3. 斎藤丑之進(1913年5月 - 1914年7月[6]) - 「多摩川沿岸新堤塘設置の件願書」(1913年)[8]
  4. 大森多門(1914年7月 - 1918年2月[6]
    • 小島晋渕 - アミガサ事件(1914年9月16日)時の村長代理、「多摩川築堤期成同盟会」副会長[9]
  5. 原八郎兵衛(1918年11月 - 1919年2月[6]
  6. 鳥養仁一(1919年3月 - 1922年8月[6]
  7. 矢島七蔵(1922年9月 - 1924年7月1日[6]) - 最後の村長

地域

大字の一覧である。10ヶ大字が存在した[2]

  • 南河原(みなみがわら)[10]
    • 甲居村耕地(こういむらこうち)
    • 乙居村耕地(おついむらこうち)
    • 堤外北耕地(ていがいきたこうち)
    • 丁居村耕地(ていいむらこうち)
    • 戊大宮耕地(ぼおおみやこうち)
    • 砂子下耕地(いさごしたこうち)
    • 庚大宮耕地(こうおおみやこうち)
    • 辛荻場耕地(しんおぎばこうち)
    • 壬荻場耕地(じんおぎばこうち)
    • 癸居村耕地(きいむらこうち)
  • 戸手(とて)
    • 癸離河原耕地(きはなれがわらこうち)
    • 下河原耕地(しもがわらこうち)
    • 遠藤耕地(えんどうこうち)
    • 紺屋橋耕地(こんやばしこうち)
    • 西中耕地(にしなかこうち)
    • 矢場(やば)
  • 古川(ふるかわ)
    • 沙原(さはら)
    • 鶴見田(つるみだ)
  • 塚越(つかこし)
    • 袋(ふくろ)
  • 下平間(しもひらま)
    • 池渕耕地(いけぶちこうち)
    • 稲荷耕地(いなりこうち)
    • 宮前耕地(みやまえこうち)
  • 小向(こむかい)
    • 宮前耕地(みやまえこうち)
    • 中原耕地(なかはらこうち)
    • 荒久耕地(あらくこうち)
    • 居村耕地(いむらこうち)
  • 古市場(ふるいちば)
    • 上台耕地(かみだいこうち)
    • 下河原耕地(しもがわらこうち)
    • 下耕地(しもこうち)
  • 上平間(かみひらま)
    • 古下河原(こしもがわら)
    • 玉川渕(たまがわぶち)
    • 四谷前(よつやまえ)
    • 池淵(いけぶち)
    • 北村(きたむら)
    • 伊勢浦(いせうら)
    • 伊勢前(いせまえ)
    • 天神台(てんじんだい)
  • 中丸子(なかまるこ)
    • 西村(にしむら)
    • 上河原(うえがわら)
    • 下タ河原(したがわら)
    • 中町(なかまち)
    • 新宿耕地(しんしゅくこうち)
    • 南田(みなみだ)
    • 川向(かわむかい)
    • 塚田(つかだ)
  • 下沼部(しもぬまべ)
    • 玉川向(たまがわむかい)

経済・産業

明治製糖川崎工場(1912年)。

第二次産業

工場

  • 横浜煉瓦製造所(御幸煉瓦工場) - 同村大字戸手(現在の戸手4丁目12番付近)。合併前の戸手村に1888年(明治21年)に開業した神奈川県最大のレンガ工場であった[11][12]。1898年(明治31年)、増山周三郎が経営を継承、御幸煉瓦製造場と名称変更。現存せず。
  • 横浜精糖川崎工場 - 同村大字南河原(現在の堀川町580番地)。1907年(明治40年)に開業[11]。1912年(明治45年) 1月合併して明治製糖川崎工場[2]、取り壊されて現存せず、1995年(平成7年)から現在のソリッドスクエア
  • 東京電気川崎工場 - 同村大字南河原(現在の堀川町72番地)。1908年(明治41年)に開業[11]。1913年(大正2年)には本社を同地に移転[2]、1939年(昭和14年)に合併により東京芝浦電気(現在の東芝)となり、2000年(平成12年)に閉鎖、取り壊されて現存せず、2006年(平成18年)から現在のラゾーナ川崎ラゾーナ川崎プラザ)。
  • 日東製鋼川崎工場 - 同村大字南河原(現在の河原町1番地)。1915年(大正4年)に開業[11]、同年12月に東京製綱が買収、東京製綱川崎工場となる。取り壊されて現存せず、1972年(昭和47年)から現在の河原町団地。

本社

  • 南武鉄道株式会社 - 同村会議員秋元喜四郎らが多摩川砂利鉄道株式会社を発足して鉄道敷設免許を申請、1920年(大正9年)3月1日社名を変更、東京市麹町区内幸町(現在の東京都千代田区内幸町)に本社を置いたが、同村合併直前の1924年6月に同村に本社を移転した。開通は同村廃止後の1927年(昭和2年)3月9日、現在の南武線の国有化前の経営会社である。
  • 東京電気株式会社 - 1913年(大正2年)に東京市から大字南河原の工場所在地に移転。

第三次産業

映画館

  • 御幸館 - 同村大字南河原(現在の中幸町4丁目付近か)。大正年間に開業、のちの御幸映画劇場、現存せず。

  1. ^ 辞彙[1917], p.1270.
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 橘樹郡[1914], 御幸村の章、p.1-8.
  3. ^ 橘樹郡[1914], p.40.
  4. ^ a b 川崎市[1969], p.49.
  5. ^ 神奈川文学年表 明治11年-20年神奈川近代文学館、2015年9月7日閲覧。
  6. ^ a b c d e f g h 橘樹郡[1923], p.86-89.
  7. ^ 姓氏[1993], p.127.
  8. ^ 川崎市[1969], p.283.
  9. ^ 多摩川公益財団法人東急財団、2014年9月付、2015年9月7日閲覧。
  10. ^ 川崎町と南河原村の字名、川崎市、2013年3月付、2015年9月7日閲覧。
  11. ^ a b c d 年表、かわさき産業ミュージアム、川崎市、2013年4月7日閲覧。
  12. ^ 工都川崎前夜 - 東海道川崎宿から工都川崎へ、川崎市、2013年4月7日閲覧。
  13. ^ 沿革、川崎市立御幸小学校、2010年8月29日閲覧。
  14. ^ 学校概要川崎市立玉川小学校、2010年8月29日閲覧。
  15. ^ 商業高校の歴史川崎市立商業高等学校、2010年8月29日閲覧。
  16. ^ 橘樹郡[1914], p.109.
  17. ^ 国鉄[1969], p.94.
  18. ^ 小向村歴史的農業環境閲覧システム、1881年作成地図、2015年9月8日閲覧。
  19. ^ 岡野[1895], p.17-18.
  20. ^ 稱名寺の歴史、稱名寺、2015年9月8日閲覧。





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