平井紀宗 平井紀宗の概要

平井紀宗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/22 04:58 UTC 版)

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平井 紀宗
時代 江戸時代中期
生誕 享保20年(1735年
死没 寛政2年10月25日1790年12月1日
別名  平(修姓)、義綱(諱)、斎次(通称)、紀宗(字)[1]、聴雨[2]・聴雪[3]・幽暢園・滄池軒(号)
戒名 滄池軒文節玄章居士
墓所 大津市大谷町、草津市平井町高内
敦賀藩
氏族 清和源氏平井氏、菊屋服部新兵衛家
父母 平井綱興、古高氏
兄弟 平井綱澄、綱要
服部ふさ
4代目服部新兵衛
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生涯

享保20年(1735年)平井綱興の子として生まれた[5]。若い頃から学問を好み、家督を弟綱澄に譲り、小浜藩支藩敦賀藩に仕えた[6]小浜西南の中井村代官に在職中、干魃により小浜藩領の隣村と水論が起こると、江戸幕府に直訴して敦賀藩の理を主張し、裁定の責任を取って辞職した後も長年俸給を受けた[6]

藩を離れた後、大坂に出て混沌詩社に参加し[6]頼春水葛子琴・小山伯鳳宅に滞在して漢詩・酒宴に興じた[7]

故あって逢坂山に移住し、服部家の養子となった[6]。篠原在住の仁正寺藩士建部孝銑に師事し、逢坂山の庭園を暢幽園と名付けられたが、江村北海により幽暢園と改められ、王維の輞川荘二十勝[8]に擬して二十二勝を定めた[1]

街道筋の幽暢園には東西を往来する混沌詩社友がしばしば立ち寄った[4]安永7年(1778年)頼亨翁・春水親子が石山寺を訪れた際、漢詩で同行を誘われたため、舟で合流し、唐崎の一つ松坂本山王七社園城寺・高観音を廻り、幽暢園に招いた[7]。春水は明和7年(1770年)、安永8年(1779年)にも幽暢園を訪れている[9]

50歳手前で家を嗣子に譲り、養母宅の傍らに家屋を構え、湖東・湖南から多くの生徒を取った[6]寛政2年(1790年)10月25日56歳で病没し、逢坂慶谷寺に葬られた[6]。寛政3年(1791年)10月門人により平井村の平井家墓域に浦世纉撰「滄池先生之碣」が建てられた[6]。法名は滄池軒文節玄章居士[5]

遺稿「滄池集」は頼春水を通じて弟平井綱要に渡り、寛政8年(1796年)七回忌に際し、10月若槻幾斎序、同月25日綱要跋により『滄池詩鈔』として出版された[9]。春水にも数部が贈られ、厳島神社仏通寺に奉納された[9]

現在慶谷寺は長らく廃寺となっているが、大津市大谷町の服部家墓域に「滄浪軒文節先生墓」、草津市平井町高内の平井家墓域に「滄池先生之碣」が残る[10]

漢詩

蓐食 衣を振って 野鄽を発す

蒼茫たる暁色 断雲の天

長河 将に没せんとして 鐘声落ち

旭日 漸く昇って 霞彩鮮かなり

古道 時時 鹿跡を余し

幽渓 処処 人烟有り

孟冬 已に看る 霜花の白きを

殊に覚ゆ 寒威 去年に勝るを

— 『日本詩選』巻七 夙に逢坂を発し、京師の故人を訪ふ[11]

湖畔 韶光度り

山頭 日色高し

懶情 初めて盥掃し

案上 離騒を読む

— 『花魁風什』 雞旦[11]

  1. ^ a b c 水田 1993, p. 47.
  2. ^ 経済雑誌社『訂正増補 大日本人名辞書』経済雑誌社、1903年8月、第5版。NDLJP:779855/889
  3. ^ 佐村八郎『増訂 国書解題』吉川半七・野村宗十郎、1904年4月、第2版。NDLJP:992388/429
  4. ^ a b 水田 1993, p. 46.
  5. ^ a b c d e f g h i 水田 1993, p. 53.
  6. ^ a b c d e f g h 水田 1993, pp. 52-53.
  7. ^ a b c d e f g h i j k 水田 1993, p. 48.
  8. ^ wikisource:zh:輞川集 (王維)
  9. ^ a b c d e 水田 1993, p. 49.
  10. ^ 水田 1993, p. 52.
  11. ^ a b 水田 1993, p. 50.


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