平井紀宗 幽暢園二十二勝

平井紀宗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/22 04:58 UTC 版)

幽暢園二十二勝

  • 尋芳竇 – 岳飛の詩による[7]
  • 穿沙池 – 杜甫の詩による[7]
  • 取月林
  • 分野梁
  • 聞響所
  • 脩竹林
  • 窮曛路
  • 十歩矼
  • 耡甲畦 – 杜甫の詩による[7]
  • 鹿柴 - 輞川荘の鹿柴と同名[7]
  • 觴詠水
  • 丹青坰
  • 聴雪堂
  • 石瀬 - 輞川荘の欒家瀬に対応する[7]
  • 招招門
  • 報春塢 - 輞川荘の辛夷塢に対応する[7]
  • 仙祠
  • 茶圃
  • 凉台
  • 松風亭 - 輞川荘の臨湖亭に対応する[7]
  • 承懽水
  • 燃犀岡 - 輞川荘の華子岡に対応する[7]

大阪府立中之島図書館所蔵の井坂松石『松石遺稿』自筆稿本に「平紀宗幽暢園二十二勝」が収められる[1]

人物

頼春水は、人柄に仕官時代の役人気質が残るものの、詩風は和やかだと評する[7]

妻方の兄弟井上伊織が大大名に仕えた際、人々は縁故を求めて争って交際したが、紀宗は一人交わりを絶って文通せず、人々から嘲笑された。しかし、後にその大名が処罰されて伊織も失脚し、人々は紀宗の先見の明に感心したという[9]

号の滄池軒は屈原漁父辞」の滄浪之水による[5]

家族

平井家

先祖は平井加賀守基綱(永正10年(1513年) - 天正13年(1585年)8月3日)は貞純親王23世孫といい、佐々木義賢に仕え、栗太郡上笠郷平井に住んだ[5]

  • 父:平井綱興 – 元禄10年(1697年)生[5]
  • 母 – 湖東古高氏[5]
  • 弟:平井綱澄 – 家督を継いだ[6]
  • 弟:平井清左衛門綱要[9]

服部家

甲賀郡出身で、近世初期に逢坂山東海道筋に移り、菊屋新兵衛と称した[5]

  • 妻:ふさ – 2代目服部善六の妹。初め助三郎を婿に取ったが、明和元年(1764年)9月22日死別した。享和3年(1803年)7月2日没[5]
  • 嗣子:4代目服部新兵衛 – 天保6年(1835年)2月8日没[5]

  1. ^ a b c 水田 1993, p. 47.
  2. ^ 経済雑誌社『訂正増補 大日本人名辞書』経済雑誌社、1903年8月、第5版。NDLJP:779855/889
  3. ^ 佐村八郎『増訂 国書解題』吉川半七・野村宗十郎、1904年4月、第2版。NDLJP:992388/429
  4. ^ a b 水田 1993, p. 46.
  5. ^ a b c d e f g h i 水田 1993, p. 53.
  6. ^ a b c d e f g h 水田 1993, pp. 52-53.
  7. ^ a b c d e f g h i j k 水田 1993, p. 48.
  8. ^ wikisource:zh:輞川集 (王維)
  9. ^ a b c d e 水田 1993, p. 49.
  10. ^ 水田 1993, p. 52.
  11. ^ a b 水田 1993, p. 50.


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