平井紀宗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/22 04:58 UTC 版)
幽暢園二十二勝
大阪府立中之島図書館所蔵の井坂松石『松石遺稿』自筆稿本に「平紀宗幽暢園二十二勝」が収められる[1]。
人物
頼春水は、人柄に仕官時代の役人気質が残るものの、詩風は和やかだと評する[7]。
妻方の兄弟井上伊織が大大名に仕えた際、人々は縁故を求めて争って交際したが、紀宗は一人交わりを絶って文通せず、人々から嘲笑された。しかし、後にその大名が処罰されて伊織も失脚し、人々は紀宗の先見の明に感心したという[9]。
家族
平井家
先祖は平井加賀守基綱(永正10年(1513年) - 天正13年(1585年)8月3日)は貞純親王23世孫といい、佐々木義賢に仕え、栗太郡上笠郷平井に住んだ[5]。
服部家
甲賀郡出身で、近世初期に逢坂山東海道筋に移り、菊屋新兵衛と称した[5]。
- 妻:ふさ – 2代目服部善六の妹。初め助三郎を婿に取ったが、明和元年(1764年)9月22日死別した。享和3年(1803年)7月2日没[5]。
- 嗣子:4代目服部新兵衛 – 天保6年(1835年)2月8日没[5]。
- ^ a b c 水田 1993, p. 47.
- ^ 経済雑誌社『訂正増補 大日本人名辞書』経済雑誌社、1903年8月、第5版。NDLJP:779855/889。
- ^ 佐村八郎『増訂 国書解題』吉川半七・野村宗十郎、1904年4月、第2版。NDLJP:992388/429。
- ^ a b 水田 1993, p. 46.
- ^ a b c d e f g h i 水田 1993, p. 53.
- ^ a b c d e f g h 水田 1993, pp. 52-53.
- ^ a b c d e f g h i j k 水田 1993, p. 48.
- ^ wikisource:zh:輞川集 (王維)
- ^ a b c d e 水田 1993, p. 49.
- ^ 水田 1993, p. 52.
- ^ a b 水田 1993, p. 50.
- 平井紀宗のページへのリンク