太陰太陽暦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/19 05:08 UTC 版)
太陰太陽暦(たいいんたいようれき、英: lunisolar calendar)とは、太陰暦を基とするが、太陽の動きも参考にして閏月を入れ、月日を定める暦(暦法)のこと。
- ^ 『西域物語』(本多利明著、寛政10年〈1798年〉序)には「欧羅巴暦を太陽暦といふ、日本暦を太陰暦といふ也」とある[1]。明治5年の太政官布告第三百三十七号にも、「今般太陰暦ヲ廃シ、太陽暦御頒行相成候ニ付…」とあり、この「太陰暦」は太陰太陽暦(天保暦)のことを指す。『日本国語大辞典』8(小学館)では「太陰太陽暦」の項は説明だけで語例はなく、「太陰暦」と「太陽暦」の項は『西洋事情』(福沢諭吉著)や上記の太政官布告第三百三十七号などを引き、いずれも太陰太陽暦である天保暦を「太陰暦」と呼ぶ例が取り上げられている。
- ^ 『世界大百科事典』16(平凡社、2007年)、「太陰太陽暦」(内田正男)の項。
- ^ (中国語) 尚書 : 虞書 : 堯典. 中國哲學書電子化計劃
- ^ 『暦の歴史』(『知の再発見双書』96)84 - 85頁。
- ^ 『暦』(『日本史小百科』)78 - 79頁。
- ^ 『現在、日本で「公式な」太陰太陽暦の計算というものはおこなわれていません。そのため国立天文台でも、「今日は旧暦の何日か?」などの、太陰太陽暦に関するお問い合わせには、はっきりとしたお答えができないことがありますことをご理解ください』(国立天文台、質問3-4「旧暦」ってなに? より)。グレゴリオ暦の項も参照。
- ^ 実際には地球が太陽の周りを廻っているので太陽や黄道自体が移動するわけではなく、太陽や黄道の位置が移り変わるというのは「あくまでも地球上の、ひとつの場所から太陽を見た場合の見せかけの動き」ということである。
- ^ 『暦』(『日本史小百科』)95頁。
- ^ 明治以前の慣習として、夜明け前までを前日としていたので12月14日のこととされており、そこからグレゴリオ暦で「1月30日」とする例も見られるが、現在の時間概念から見れば厳密には1月31日のことである。
- ^ 季節はずれの赤穂浪士の討ち入り
- ^ 高島俊男『お言葉ですが…(9) 芭蕉のガールフレンド』(『文春文庫』、2008年6月) ※「佐々成政の峠越え」(p.202-) ISBN 978-4-16-759810-5
太陰太陽暦と同じ種類の言葉
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