大西洋の戦い (第二次世界大戦) 水上艦の活動

大西洋の戦い (第二次世界大戦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/30 12:24 UTC 版)

水上艦の活動

喜望峰を回る連合国の輸送船団(1941年)

緒戦の大成功にも関わらず、Uボートは通商破壊戦の主力と評価されるには至らなかった。デーニッツを除けば、両陣営におけるほとんどの海軍将校は最終的な通商破壊の艦種は水上艦だと考えていた。

ドイツ艦隊は1940年の前期にノルウェー侵攻のため集結し、大西洋にドイツの水上艦の姿は消えたが1940年の夏季から仮装巡洋艦などの水上艦が順を追ってドイツから出航した。

ドイツ戦艦の威力は、1940年11月5日の装甲艦アドミラル・シェーアによるHX84船団の被害によって証明された。武装商船ジャーヴィス・ベイの抵抗によって船団の船が散開して逃走することを許したが、アドミラル・シェーアは素早く5隻を沈めて、数隻を損傷させた。シェーアを要撃するためイギリス海軍は本国艦隊を派遣し、北大西洋における船団の航行を停止した。シェーアは南大西洋方面に逃走したため、捜索は失敗し、翌月にはインド洋に姿を現した。

他のドイツ艦船も存在感を示すように活動を始めた。重巡洋艦アドミラル・ヒッパーが1940年のクリスマスにWS5A船団を攻撃したが、護衛していた巡洋艦ベリックに撃退された。しかし2か月後の1941年2月12日にSLS64船団(19隻)を襲撃し、そのうちの7隻を沈めることに成功した。1941年1月からは巡洋戦艦シャルンホルストグナイゼナウの2隻が、ドイツを出航して大西洋に進出し、協同で襲撃を行うベルリン作戦 (Unternehmen Berlin) が実施された。この2隻は追跡できる連合国の艦船よりも強力であったため、イギリス海軍はできるだけ多くの船団に戦艦を護衛として随伴させなければならなかった。HX106船団は旧式戦艦ラミリーズの存在で、1か月後のSL67船団も戦艦マレーヤの存在によって攻撃を免れ、2度の襲撃から輸送船団を救うことができた。

戦艦プリンス・オブ・ウェールズを砲撃するドイツの戦艦ビスマルク。

ドイツは大胆な襲撃を計画し、5月に新型の戦艦ビスマルクと巡洋艦プリンツ・オイゲンの2隻を投入するライン演習作戦が開始された。イギリス海軍は情報部から予め報告を受けていたため、アイスランド沖で要撃した。イギリスはデンマーク海峡で生起した海戦で巡洋戦艦フッドを失ったが、H部隊の空母から発進した雷撃機の魚雷が舵に命中したおかげで本国艦隊が追いつき、戦闘の末ビスマルクは自沈した。この作戦を最後に大西洋における戦艦の襲撃は終わりを遂げた。アドルフ・ヒトラーはビスマルクの損失とノルウェーへの反攻の脅威により撤退を促され、1942年2月にシャルンホルスト、グナイゼナウ、プリンツ・オイゲンがドイツ本国へ帰還するツェルベルス作戦 (Unternehmen Cerberus) が行われ、大西洋からは強力な艦艇がいなくなった。

あまりに早い開戦で、ドイツ海軍の拡張計画(Z計画)は未完成のまま中止された。輸送船団を護衛ごと一掃する強力な戦艦の計画概要には、戦艦に付随できる護衛艦船が欠かせなかったが、それらは建造されず、計画は達成されなかった。機雷、Uボート、航空機などの攻撃による損失と比較すると水上艦の襲撃による被害は比較的少なかったが、捜索と護衛のために多くの艦艇を必要とし、そのために多くの燃料を消費し、輸送船団の航行を停止させるなど連合国の輸送船団システムに大混乱を起こさせ、イギリスの輸入量を大きく減じる結果となったのである。

また、ブレスト海軍基地の防備が脆弱だったとはいえ、シャルンホルスト、グナイゼナウ、プリンツ・オイゲンらをドイツ本国へ帰還させたことは戦略的に失敗だった[5]。1942年に戦艦ティルピッツがノルウェーから出撃する情報を得たイギリス海軍はフランス沿岸へ進出されることを警戒し、大西洋でティルピッツの整備を受けることが出来る唯一のドックが所在するサン・ナゼールを攻撃する計画を立てるなど、イギリスは少なくない犠牲を払った。




注釈

  1. ^ バリー 1979, p. 22 (未確認:世界の艦船増刊 第206集『ネーバル・ヒストリー・シリーズ(7)日本と列強の潜水艦WWII』海人社 2023 電子書籍版 p.66 にある模様)
  2. ^ 用例が少なく暫定の名称です
  3. ^ 用例が少なく暫定の名称です
  4. ^ 用例が少なく暫定の名称です

出典

  1. ^ a b c バリー 1979, p. 22.
  2. ^ a b バリー 1979, p. 23.
  3. ^ a b ジェレミー 2019, p. 173.
  4. ^ Burn 1993, pp. 20, 326–328.
  5. ^ ジェレミー 2019, p. 227.
  6. ^ ジェレミー 2019, p. 206.
  7. ^ ジェレミー 2019, p. 229.
  8. ^ ジェレミー 2019, p. 229-230.
  9. ^ a b ジェレミー 2019, p. 230-231.
  10. ^ ジェレミー 2019, p. 232.
  11. ^ ジェレミー 2019, p. 233.
  12. ^ ジェレミー 2019, p. 234.
  13. ^ ジェレミー 2019, p. 235-236.
  14. ^ ジェレミー 2019, p. 242.
  15. ^ ジェレミー 2019, p. 242-243.
  16. ^ a b ジェレミー 2019, p. 243.
  17. ^ ジェレミー 2019, p. 244.
  18. ^ ジェレミー 2019, p. 244-245.
  19. ^ ジェレミー 2019, p. 236.





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