大西洋の戦い (第二次世界大戦)
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戦場の拡大
アメリカは名目上は中立であったにも関わらず、1940年にデンマークをドイツに占領されイギリス軍がアイスランドを占領した後、アメリカはイギリスを間接的に支援するためイギリス軍に代わってアイスランドを統治した。1941年4月からルーズベルト大統領はパン・アメリカ保障海域[注釈 5]を東へ広げ、ほぼアイスランド近くまで達した。アメリカ海軍は大西洋西部を航行する連合国の船団を護衛し初め、Uボートと遭遇して敵対することもあった。
1941年6月にイギリスは船団がよく行き来する北大西洋の全行程における護衛の実施を決定した。このため、イギリス海軍本部はカナダ海軍に西方海域の担当とそれのための護衛部隊をニューファンドランドのセント・ジョンズに基地を設置するよう依頼した。開戦時、カナダ海軍は6隻の駆逐艦と5隻の掃海艇、水兵3000人しかいなかった。1941年6月13日、カナダ海軍のレオナード・マーレイ准将がウェスターンアプローチ管区の指揮下となる護衛部隊司令官を引き受けた。ニューファンドランド護衛部隊はカナダ海軍の駆逐艦6隻、コルベット17隻で構成され、そこにイギリス海軍の駆逐艦7隻、スループ3隻、コルベット5隻が加わり、増強された。ニューファンドランド護衛部隊の任務は、イギリスの護衛群と会合するアイスランド南方の海上までカナダから出港した船団を護衛することであった。カナダ首相マッケンジー・キングは戦時急造計画と訓練計画に意欲的な意思を見せ、大戦終結までにカナダは400隻と9万の水兵を大西洋の戦いに送り出した[27]。
注釈
出典
- ^ a b c バリー 1979, p. 22.
- ^ a b バリー 1979, p. 23.
- ^ a b ジェレミー 2019, p. 173.
- ^ バリー 1979, p. 18.
- ^ バリー 1979, p. 19.
- ^ a b バリー 1979, p. 20.
- ^ バリー 1979, p. 21.
- ^ Burn 1993, pp. 20, 326–328.
- ^ バリー 1979, p. 39.
- ^ バリー 1979, p. 40.
- ^ a b c バリー 1979, p. 65.
- ^ バリー 1979, p. 64.
- ^ a b c d バリー 1979, p. 69.
- ^ バリー 1979, p. 38.
- ^ バリー 1979, p. 42.
- ^ バリー 1979, p. 42-43.
- ^ ジェレミー 2019, p. 227.
- ^ a b c d e f バリー 1979, p. 96.
- ^ バリー 1979, p. 104.
- ^ バリー 1979, p. 99-100.
- ^ バリー 1979, p. 99.
- ^ バリー 1979, p. 100.
- ^ バリー 1979, p. 102.
- ^ バリー 1979, p. 105.
- ^ バリー 1979, p. 107.
- ^ バリー 1979, p. 123-124.
- ^ バリー 1979, p. 125.
- ^ ジェレミー 2019, p. 206.
- ^ ジェレミー 2019, p. 229.
- ^ ジェレミー 2019, p. 229-230.
- ^ a b ジェレミー 2019, p. 230-231.
- ^ ジェレミー 2019, p. 232.
- ^ ジェレミー 2019, p. 233.
- ^ ジェレミー 2019, p. 234.
- ^ ジェレミー 2019, p. 235-236.
- ^ ジェレミー 2019, p. 242.
- ^ ジェレミー 2019, p. 242-243.
- ^ a b ジェレミー 2019, p. 243.
- ^ ジェレミー 2019, p. 244.
- ^ ジェレミー 2019, p. 244-245.
- ^ ジェレミー 2019, p. 236.
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