大橋 (馬淵川) 大橋 (馬淵川)の概要

大橋 (馬淵川)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/14 01:55 UTC 版)

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概要

大橋は青森県八戸市を流れる馬淵川の下流に架かる橋で、一般国道104号の八戸市売市長苗代を結んでいる。橋の全長は241.6mの連続鈑桁橋である。1994年平成6年)に発生した三陸はるか沖地震で被害を受け、「大橋架替事業」によって大橋が架け替えられた。その際に橋の愛称を市民に募集し、ふれあい橋の愛称がつけられている。大橋の交通量は1日あたり約13000台。

データ

  • 事業費:不明
  • 完工:1998年(平成10年)
  • 延長:241.6m
  • 主径間:39.7m
  • 車線数:2車線
  • 発注:八戸市
  • 施工:川田
  • 鋼重:354t
  • 総鋼重:778t
  • 支間割 (m) :39.7+39.7+39.7

歴史

  • 1654年承応3年)の雑書「承応3年9月12日条」の記述に、「八戸御橋百二十、渡始八月晦日」とい記録が残っている。
  • 1660年万治3年)の渡辺益庵「八戸紀行」の記述によると、「西のかたに虹の一すし見えけるは、まへち川にかかれる長橋なり」の記録がある。
  • 1675年明和2年)の御勘定書日記によると、188m(104間)幅6.3m(3間半)の橋が架かっていたという記録がある。
    • 洪水の被害で落橋することが多かったため、復旧工事の費用は領内全域に租税などを割り当てて負担させていた。
  • 1868年明治元年)の「新撰陸奥国誌」の記述によると、新しい土橋が架けられたと記録がある。長さ144m(80間)、幅9m(5間半)
  • 「旧時年々7月26日煙火の遊興ありて、橋上の群衆立錐の隙も無りしと云う」の記録がある。
  • 1931年昭和6年)、旧大橋が完成。
  • 1994年平成6年)、三陸はるか沖地震の被害で橋脚が一部沈下。
  • 1998年平成10年)、「大橋架替事業」で新しい「大橋」が完工。ふれあい橋の愛称がつけられる。

大橋の由来

大橋の由来は諸説ある。

  • 「八戸御橋(はちのへおんはし)」と呼ばれていたものが「大橋(おおはし)」に変わったという説。
  • 南部を流れる大いなる川・馬淵川を大川と呼んでいたことから、そこに架かる橋ということで大橋と名付けられたという説。
  • 八戸に伝わる民話「ナマズの恩返し」の話の中に登場する『川で助けたナマズからお礼にもらったお金で馬淵川に橋を架けた若者が、後にその功績を讃えられ、橋に若者の姓を取り、「大橋」と名付けられたと伝えられた』という説。

ふれあい橋の由来

ふれあい橋の由来は、「末長く市民に親しまれるように」である。一般市民の公募で橋の名称が決まった経緯がある。

ライブカメラ

国道104号八戸市内船渡のライブ画像、下長方面から売市方面を映す馬淵川と大橋の画像。青森ITSクラブが設置している。

アクセス




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