大多喜藩 歴代藩主

大多喜藩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/10 07:41 UTC 版)

歴代藩主

本多家

譜代 10万石→5万石

  1. 本多忠勝
  2. 本多忠朝
  3. 本多政朝

阿部家

譜代 3万石

  1. 阿部正次

青山家

譜代 2万石

  1. 青山忠俊
青山家の藩主時代も阿部正次は夷隅郡の旧領を保持し、後代の阿部正能や阿部正春は阿部家領から別個に分知を受けており、青山家時代と前後の阿部家時代とで藩領は重ならない。

阿部家

譜代 1万石→1万6千石→1万石

  1. 阿部正能

譜代 1万6千石

  1. 阿部正春
正能と正春は共に正次の孫であるが、正能は大多喜藩主在任を継続しながら正次の甥阿部忠秋の養子となり、忠秋の隠居後に跡を継いで忍藩へ転封した。正春はその後に入れ代わりで岩槻藩から転封してきている。また、正能は大多喜藩時代の1万石を保持したまま転封しており(のちに正能の次男三男四男がこの1万石を分与され旗本として分家した)、正春の1万6千石は大多喜新田藩時代からの旧領である。

稲垣家

譜代 2万5千石

  1. 稲垣重富

松平(大河内)家

譜代 2万石→改易→2万石

  1. 松平正久
  2. 松平正貞
  3. 松平正温
  4. 松平正升
  5. 松平正路
  6. 松平正敬
  7. 松平正義
  8. 松平正和
  9. 松平正質

幕末の領地

前述のように、大多喜藩は特に阿部家時代まで、城地を除きほぼ丸ごと領地が入れ替わるような変遷があり、以下に示すのはあくまでも「旧高旧領取調帳」に記載されている幕末時点(大河内松平家時代)での領地である。(47村・2万2,246石余)

明治維新後に、夷隅郡59村(旧旗本領7村、旧与力給地1村、旧久留里藩領8村、旧吉井藩領1村、旧岩槻藩領1村、旧高知新田藩領1村、旧安房上総知県事領47村【内訳は旧旗本領41村、旧幕府領2村、旧与力給地5村、旧久留里藩領2村、旧吉井藩領2村、旧岩槻藩領1村、旧高知新田藩領1村、旧鶴牧藩領1村】)が加わり、上総国内の領地は大幅に入れ替わった。なお、相給が存在するため村数の合計は一致しない。三河国飛地領の変遷は、「旧高旧領取調帳」では既に額田県の所属とされているため詳細は不明。

脚注


注釈

  1. ^ 赤丸は本文内で藩領として言及する土地。青丸はそれ以外。

出典

  1. ^ 柴裕之「豊臣政権の関東仕置と徳川領国-本多忠勝の上総万喜入城を通じて-」(佐藤博信 編『中世房総と東国社会 中世東国論:4』(岩田書院、2012年) ISBN 978-4-87294-739-7


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