大多彦命
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 16:32 UTC 版)
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時代 | 古墳時代 |
生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
主君 | 崇神天皇 |
氏族 | 神部氏 |
父母 | 父:大田田根子[1] |
兄弟 | 大友主命 [2]、大鴨積命[3]、意富禰希毛知命[4] |
妻 | 内色許男命女玉降姫命[5] |
子 | 大彦速命、大主命、水練命[6] |
大多彦命(たたひこのみこと、おおたひこのみこと、生没年不詳)は、『粟鹿大明神元記』に記された古墳時代の豪族。
概要
崇神天皇の時、大国主神の術魂・荒魂を桙・楯・太刀や鏡に取りつけ西国に派遣され、国々のまつろわぬ人々を平服させた。この時、初めて男女に調物(税)が課せられた。その後、但馬国朝来郡の粟鹿村に住み、そこで亡くなった。大多彦命の墓は、美作国大庭郡米木原にあるという[7]。
美作国大庭郡の神直(みわのあたい)、石見国大市郡(邑智郡?)の神直、的大神直(いくはのおおみわのあたい)、倭三川部(やまとのみかわべ)、吉備国の品治部、葦浦君(あしうらのきみ)等の先祖とされる[8]。
脚注
注釈
出典
- ^ 『粟鹿大明神元記』
- ^ 『粟鹿大明神元記』
- ^ 『粟鹿大明神元記』
- ^ 『粟鹿大明神元記』
- ^ 『粟鹿大明神元記』
- ^ 『粟鹿大明神元記』
- ^ 前之園 亮一「神話研究における「粟鹿大明神大神元記」の史料価値--「神」概念の形成と出雲神話を中心に」(『学習院大学文学部研究年報』23号、1976年)p115-147 https://glim-re.repo.nii.ac.jp/index.php?action=repository_action_common_download&item_id=2775&item_no=1&attribute_id=22&file_no=1&page_id=13&block_id=161
- ^ 前之園 亮一「神話研究における「粟鹿大明神大神元記」の史料価値--「神」概念の形成と出雲神話を中心に」(『学習院大学文学部研究年報』23号、1976年)p115-147 https://glim-re.repo.nii.ac.jp/index.php?action=repository_action_common_download&item_id=2775&item_no=1&attribute_id=22&file_no=1&page_id=13&block_id=161
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