大彦速命
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 16:29 UTC 版)
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時代 | 古墳時代 |
生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
氏族 | 神部氏 |
父母 | 父:大多彦命[1]、母:内色許男命女玉降姫命[2] |
兄弟 | 大主命、水練命[3] |
妻 | 甲斐国造上祖狭穂彦王女角姫命 [4] |
子 | 武押雲命 [5] |
大彦速命(おおひこはやのみこと、生没年不詳)は、『粟鹿大明神元記』に記された古墳時代の豪族。
概要
垂仁天皇の時、但馬国の粟鹿の嶺に大国主神の子・天美佐利命という荒ぶる神がいた。姿を雲紫のように変化させ、自由に空中を駆けていた。坂を通る人が10数人あれば10人を殺し5人を往かせた。20人が往来すると、10人を殺し10人を往かした。このような例は、1回や2回だけではなかった。それから数年を経た時、大彦速命が、朝廷に天美佐利命を祭ることを望み、この神の様子を報告した。そこで、朝廷より幣帛などを賜り、祭祀を行った。また、粟鹿嶺の白鹿、その角の間に粟が生えていた。それで、粟鹿大神と名付けた。これ以降、人々は安心して過ごせるようになり、国内は災難がなくなり、穀物も豊かに実るようになったという[6]。
脚注
注釈
出典
- ^ 『粟鹿大明神元記』
- ^ 『粟鹿大明神元記』
- ^ 『粟鹿大明神元記』
- ^ 『粟鹿大明神元記』
- ^ 『粟鹿大明神元記』
- ^ 前之園 亮一「神話研究における「粟鹿大明神大神元記」の史料価値--「神」概念の形成と出雲神話を中心に」(『学習院大学文学部研究年報』23号、1976年)p115-147 https://glim-re.repo.nii.ac.jp/index.php?action=repository_action_common_download&item_id=2775&item_no=1&attribute_id=22&file_no=1&page_id=13&block_id=161
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