土井正博
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/17 10:26 UTC 版)
特筆
人物
- クラウン時代の1978年には35歳で19歳の伴侶を得て話題になり、その後は一男一女に恵まれている。
- コーチを解任された後に清原の技術が停滞し、1990年代以降死球禍などに苦しんだことについては、「清原に一軍で勝つための技術しか身に付けさせられなかった」としている。清原に死球の避け方を教えることができず、賭博によりコーチをやめることになってしまったことを後悔していた。そのため、1996年のコーチ復帰の際には、松井稼頭央などに死球の避け方をまず教えたという[25]。
- 50代あたりから総白髪になった。その理由として、1度目の西武打撃コーチ時代に清原を指導するにあたり、どのように指導したら良いか経験したことのない重圧を感じた為、瞬く間に髪の毛が白くなったと語っている[26]。
- 2001年秋、韓国プロ野球・LGツインズの監督だった金星根から『誰かピッチングコーチできるのいるか?』と聞かれた土井は加藤初[注 4]を推薦した。加藤は2001年秋季キャンプでLGの投手インストラクターに就任し、金はSKワイバーンズの監督に就任した際も加藤を投手コーチで招いている[27]。
- 2010年夏に行われたライオンズクラシックにOBとして参加した際、仙人のように立派な髭を蓄えており、トークショーで同席した当時のチームメイト、特に東尾を驚かせた。この髭は2009年に行われたライオンズクラシックでは蓄えていなかったので、その後伸ばし始めたと考えられる。2011年よりヘッドコーチに就任した際も伸ばし続けていたが、チームの不振の影響もあり、5月5日の時点で綺麗に剃られていた。その甲斐もあってかチームの連敗は止まった。
- コーチとして「松井稼頭央、中島宏之、中村剛也、栗山巧、浅村栄斗、高橋周平…。振り返ってみると、私は高卒の選手の方が教えやすかったというか、相性が良かったような気がします。」[28]と述べている。
- コーチとしてやりづらかった監督に森祇晶を挙げ「打てなかったら打てないし言うし辛抱してくださいって言っても辛抱しきれない常勝球団でしたから。育ってくる選手がなかなかねベテラン選手が出てくる。」、やりやすかった監督は東尾修、伊東勤、渡辺久信を挙げ「あとはみんなやりやすかったです。東尾は(若手を)使ってくるから。当たらなくても使ってくれたので推せば大丈夫だな。」[29]と述べている。
注釈
- ^ 伊原春樹については、坂井保之は「埼玉県なんて聞いたこともない」とまで発言して売却・移転反対を訴えていたと自著『波瀾興亡の球譜:失われたライオンズ史を求めて』で記述しているが、伊原本人は2022年に出版された『俺たちのパシフィック・リーグ クラウンライター・ライオンズ』(ベースボール・マガジン社)掲載のインタビューで「芝浦工業大学のグラウンドと合宿所が埼玉県大宮市〈現:さいたま市大宮区〉にあり、埼玉県にいれば西武がどういう会社かわかる」と埼玉県への在住経験があったことや、「巨人時代に改築前の西武園球場で二軍戦を経験した」「あの西武が球団を持ってくれる嬉しさの方が大きかった」との証言をし、坂井の記述を否定している。
- ^ 「ホームランナイター」については2013年4月20日のオリックス対ソフトバンクの自社制作時に出演事例あり。
- ^ 近鉄は土井の移籍から5年後(1979年)、西武は土井の引退した翌年(1982年)にそれぞれ(西武は球団買収後)初めてリーグ制覇を達成した。
- ^ 土井がサムスン打撃コーチ時の監督が金で、加藤とは選手時代は太平洋、コーチ時代西武で同僚だった。
出典
- ^ 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年
- ^ 大井広介「スカウト巡礼(8) 近鉄篇 元近鉄、現東映 荒井健スカウトに聞く」『ベースボールマガジン』1964年8月号、ベースボール・マガジン社、86–87頁。
- ^ a b c “「18歳の4番打者」が辿り着いたバッティングの極意【土井正博】”. 公研. 2021年8月28日閲覧。
- ^ a b c “【根本陸夫伝】高校を中退させて「18歳の4番打者」を作った男”. ライブドアニュース (2014年6月10日). 2021年8月28日閲覧。
- ^ “わざと振り遅れてホームラン。「プロ最年少の四番打者」が考えた極意”. web Sportiva. p. 2 (2020年11月8日). 2021年8月28日閲覧。
- ^ “わざと振り遅れてホームラン。「プロ最年少の四番打者」が考えた極意”. web Sportiva. p. 4 (2020年11月8日). 2021年8月28日閲覧。
- ^ “土井正博 「教えられなかった死球の避け方」”. Number Web (2009年1月16日). 2021年8月28日閲覧。
- ^ “わざと振り遅れてホームラン。「プロ最年少の四番打者」が考えた極意”. web Sportiva. p. 5 (2020年11月8日). 2021年8月28日閲覧。
- ^ 週刊ベースボール 2012年5月28日号 27ページ
- ^ “【追悼・西本幸雄さん】(上)「もう時効だから」と明かしたあの時の真相”. msn 産経ニュース. p. 3 (2011年12月10日). 2011年12月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年8月28日閲覧。
- ^ “【追悼・西本幸雄さん】(上)「もう時効だから」と明かしたあの時の真相”. msn 産経ニュース. p. 4 (2011年12月10日). 2011年12月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年8月28日閲覧。
- ^ 西日本新聞、1978年10月13日付。
- ^ サンケイスポーツ 2010年1月5日 6面
- ^ “【根本陸夫伝】選手全員の「行きつけの店」まで知り尽くしていた男”. web Sportiva (2015年11月21日). 2015年11月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年8月28日閲覧。
- ^ スポーツ報知「元西武土井正博氏TVドラマ出演中 なぜか反響なし"パ一筋の悲哀"」
- ^ “【根本陸夫伝】 「清原には余計なことを言うな」とコーチに厳命した男”. web Sportiva (2014年7月1日). 2014年7月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年8月28日閲覧。
- ^ “土井特別コーチ、大塚投手コーチ会見”. 中日ドラゴンズ公式サイト (2014年10月9日). 2021年8月28日閲覧。
- ^ “【中日】谷繁監督、“地獄キャンプ”を予告「基本中の基本とスタミナつける」”. スポーツ報知 (2015年10月28日). 2015年10月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年8月28日閲覧。
- ^ “<中日>来季コーチにオリ前監督の森脇氏が就任へ”. 毎日新聞 (2016年10月25日). 2016年10月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年8月28日閲覧。
- ^ “中日・土井打撃コーチが退団へ CS逃し「責任を、コーチとして痛感」”. サンケイスポーツ (2018年10月18日). 2021年8月28日閲覧。
- ^ “中日 退任のコーチ陣があいさつ 森脇氏「森監督と一蓮托生」 近藤氏「責任を取らないと」”. スポーツニッポン (2018年10月18日). 2021年8月28日閲覧。
- ^ わざと振り遅れてホームラン。 「プロ最年少の四番打者」が考えた極意
- ^ ベースボールマガジン9月号、2007年No4、ベースボール・マガジン社、p112-113
- ^ “土井正博「三振の少ない強力プルヒッターの打撃理論」/プロ野球20世紀の男たち”. 週刊ベースボールONLINE (2019年9月2日). 2021年4月27日閲覧。
- ^ “土井正博 「教えられなかった死球の避け方」(2/3)”. Number Web (2009年1月16日). 2021年8月28日閲覧。
- ^ ベースボールマガジン 2008年7月号より
- ^ “加藤初さん(元巨人)が亡くなって3年 晩年の韓国での指導者生活の日々を偲ぶ”. Yahoo!ニュース (2019年12月11日). 2021年8月28日閲覧。
- ^ “【本紙専属評論家ここだけの話】土井正博氏、新人・清原育成へ根本氏から金言「自分の18歳の時と比べてみろ」”. サンケイスポーツ (2020年5月27日). 2021年8月28日閲覧。
- ^ パンチ佐藤 が迫る】 清原和博 ・ イチロー を指導した名打撃コーチ 土井 ・ 新井 のぶっちゃけ話。やりづらかった監督、やりやすかった監督は!? - YouTube
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