名人戦 (将棋)
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永世名人
名人位を通算5期以上獲得した棋士は、原則として引退後に、永世称号である永世名人を名乗ることができる。
他のタイトルの永世称号と異なり、「○世名人」という称号となる。これは、江戸時代から続く終世名人制を引き継ぐためであり、最初の永世名人である木村義雄は、関根金次郎十三世名人の次であるから十四世名人を名乗った。
永世名人の資格は、1949年に、名人戦主催者が翌年から朝日新聞社に変更となったのを機に制定された。当時の規約は、名人5期以上の棋士が失冠した際に、連盟がその棋士の人格などを審査し、永世名人に相応しい人物であれば永世名人の称号を贈るというものであった[15]。
規約制定以前の1945年に木村義雄は既に規定の名人5期を達成していたため、当然この資格を獲得し、1952年に名人を失冠すると永世名人を襲位した。
なお、「木村の名人獲得期数5期は1949年に達成したものであり、戦前の獲得期数は実際は4期である」や「永世名人の規約ができたのは1952年である」などといった誤解がある。しかし、木村の名人獲得期数と規約制定年と襲位との関係を理解しないことから起きた誤りである。
この規定による永世名人の資格獲得者は、木村義雄(十四世名人)、大山康晴(十五世名人)、中原誠(十六世名人)、谷川浩司(十七世名人)、森内俊之(十八世名人)、羽生善治(十九世名人)の6名である。
木村は1952年の名人陥落後に引退して十四世名人を名乗った。大山は名人13連覇など数々の偉業を称えて、特例で現役でありながら十五世名人を名乗ることを許されていた。中原は2007年11月に、名人15期をはじめとする実績を称えて現役中に十六世名人に推戴された。谷川は、2022年4月に還暦を迎えたこととこれまでの実績・将棋界への貢献から推薦を受けて、現役中ながら十七世名人を襲位した。2022年現在、森内、羽生はまだ襲位していない。規定通り引退後に永世名人を名乗ったのは木村のみである。
注釈
- ^ a b c d 名人戦・順位戦を共催する2社の表記順は、偶数の期が「朝日新聞社、毎日新聞社」の順、奇数の期が「毎日新聞社、朝日新聞社」の順となる[19]。
- ^ 萩原は、神田を支持した花田・金子が脱退した際に欠員補充として昇段した。なお、神田については脱退時に八段昇段したとする主張が連盟によって追認されているため、萩原の昇段日は神田よりも後である。
- ^ 他の棋戦タイトルでは通算三期の獲得によって九段昇段の条件を得る。
- ^ 八段格として特例による参加。なお、現役当時の表記は阪田ではなく坂田。
- ^ 予選ではなく近年の好成績により七段ながらリーグ参加権が認められた。
- ^ 将棋ソフト不正使用疑惑騒動により途中休場。三浦の地位保全のため、翌76期は三浦を含む11名で行われた。
- ^ 番勝負1局目1日目時点。挑戦決定は丸田祐三戦(1960年3月21日)時の 20歳80日。
- ^ 1回戦時点。A級昇級が確定した高柳敏夫戦(1958年2月27日)時点では 18歳57日。
- ^ 在位は 50歳362日まで。
- ^ 番勝負第1局1日目時点。挑戦決定は 63歳10日時点。番勝負最終局は 63歳82日まで。
- ^ 1回戦時点。その後、1992年7月26日年没( 69歳135日)
- ^ 休場の経緯は将棋ソフト不正使用疑惑騒動を参照。
- ^ 磯辺真季は、1995年1月 - 3月のNHK将棋講座で佐藤康光のアシスタントを務めている。
- ^ 2011年名人戦の司会兼聞き手のアナウンサーは、第2局から局順に、堀伸浩・長野亮・後藤理・吉岡大輔・泉浩司・長野亮(NHK囲碁と将棋 タイトル戦中継 2011年6月23日閲覧)。
出典
- ^ a b 天狗太郎『昭和「将棋指し」列伝』(時事新報社)P.24
- ^ 『現代囲碁大系 別巻 現代囲碁史概説』(林裕)P.46
- ^ 関根金次郎声明・『将棋世界「将棋名人戦」~昭和・平成 時代を映す名勝負~』(マイナビ出版刊行)P.37
- ^ 『現代囲碁大系 別巻 現代囲碁史概説』(林裕)P.46
- ^ 第74期名人戦・開催地公募のお知らせ 日本将棋連盟・2015年8月21日閲覧
- ^ 「味が悪かった」規定変更 名人戦、今期から何が変わるのか - 毎日新聞・2022年4月4日
- ^ 『将棋の渡辺くん』(伊奈めぐみ著、講談社)第6巻 pp.52 - 53
- ^ a b 名人位の賞金総額を推計する - 将棋ペンクラブログ・2013年12月20日
- ^ 週刊将棋編「名局紀行」毎日コミュニケーションズ P.101
- ^ 『将棋名人戦 ~昭和・平成 時代を映す名勝負~』(将棋世界編集部編、マイナビ、2014年)p.38
- ^ a b 『将棋名人戦』p.43
- ^ 将棋世界「巨匠が語る将棋界今昔 木村義雄vs倉島竹二郎」1985年7月。
- ^ 加藤治郎『昭和のコマおと』(旺文社文庫)P.161
- ^ 『将棋名人戦』p.49
- ^ 将棋世界2018年3月号。
- ^ a b “大山康晴・羽生善治・藤井聡太…将棋の醍醐味、テレビで”. 日本経済新聞 (2023年2月8日). 2023年6月2日閲覧。
- ^ 史上初!!全5対局完全生中継「将棋界の一番長い日」(囲碁・将棋チャンネル)
- ^ a b 七番勝負の中継は対局後のインタビューおよび大盤解説会場での挨拶まで行なわれる。感想戦の様子はABEMAでは中継されず、主催者の朝日新聞、毎日新聞による配信でのみ中継される。
- ^ a b 飛龍(中継記者)『将棋世界』 2024年3月号(月刊順位戦レポート)、マイナビ出版/日本将棋連盟、164頁。
- ^ 加藤治郎『昭和のコマおと』(旺文社文庫)P.159-160
- ^ a b c 『近代将棋(1976年12月号)』近代将棋社(国立国会図書館デジタルコレクション)、34-35頁 。
- ^ a b 『近代将棋(1976年11月号)』近代将棋社(国立国会図書館デジタルコレクション)、30-32頁 。
- ^ 『近代将棋(1976年12月号)』近代将棋社(国立国会図書館デジタルコレクション)、36-37頁 。
- ^ 週刊将棋編『将棋ファン読本』(毎日コミュニケーションズ)P.15 井口昭夫「不死鳥・大山の将棋人生」
- ^ 田丸昇『将棋名人戦秘話』(マイナビ)P.65
- ^ 田丸昇『将棋名人戦秘話』(マイナビ)P.66
- ^ 田丸昇『将棋名人戦秘話』(マイナビ)P.70
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