吉見氏頼 吉見氏頼の概要

吉見氏頼

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/20 14:17 UTC 版)

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吉見氏頼
時代 南北朝時代
生誕 不明
死没 不明
別名 三郎[1]
戒名 道源[1]
官位 能登守護掃部助三河守右馬頭[1]
幕府 室町幕府
氏族 吉見氏
父母 父:吉見頼隆[1]
家貞、詮頼

経歴・人物

北陸の北朝方勢力として南朝方桃井直常直信らと能登越中でしばしば戦う[1]観応の擾乱では足利尊氏に属した[1]貞和4年/正平3年(1348年)頃、父頼隆の跡を継ぎ能登守護となり、文和元年/正平7年(1352年)再び復帰し、康暦元年/天授5年(1379年)まで在任する[1]応安3年/建徳元年(1370年今川貞世に代わり室町幕府引付頭人となった[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h 安田元久編『鎌倉・室町人名事典』新人物往来社、p.644(1985)


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