南都七大寺とは? わかりやすく解説

南都七大寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/29 02:06 UTC 版)

南都七大寺(なんとしちだいじ)は、奈良時代平城京(南都・奈良)およびその周辺に存在して朝廷の保護を受けた7つの官寺を指す[1]。初出は平安時代『扶桑略記延長4年(926年)12月9日条で、「七大寺、東大寺、興福寺、元興寺、大安寺、薬師寺、西大寺、法隆寺」とされた。2年後『延喜式』にも七大寺として寺院名と寺院配列も同一で表記された[2]


  1. ^ a b 橋川正 1932, p. 144.
  2. ^ 前田雅之『今昔物語集の世界構想』笠間書院、1999年、p.136
  3. ^ 橋川正 1932, p. 145、七大寺通例
  4. ^ 日本史広辞典編集委員会(編)『山川日本史小辞典 改訂新版』山川出版社 2016年、「七大寺」


「南都七大寺」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「南都七大寺」の関連用語

南都七大寺のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



南都七大寺のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの南都七大寺 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS