北京原人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/08 04:00 UTC 版)
骨の行方
1941年以降に行方不明となった骨の化石については、「日本軍に押収されたが空襲で焼けた」「中国の何処かに隠されている」「不老長寿の薬として使われた」など多くの仮説を生み謎のままとなっている[11][5]。
中国政府では、
を有力情報として捜索を継続している[5]。
1977年には日本軍に押収され阿波丸で輸送中に撃沈されたという説を元に、潜水調査を行ったが発見には至らなかった[5]。
1970年代にはオーストラリアの実業家が情報提供者に15万ドルの懸賞金を出すと公表すると、骨らしきものがシドニー美術館に持ち込まれたが、本物と断定するには至らなかった[12]。
脚注
参考文献
- イヴ・コパン、馬場悠男,奈良貴史『ルーシーの膝 : 人類進化のシナリオ』紀伊國国屋書店、2002年。ISBN 4-314-00910-1。
関連項目
ウィキメディア・コモンズには、北京原人に関するカテゴリがあります。
- ジャワ原人
- 明石原人
- 元謀原人
- 藍田原人
- ネアンデルタール人
- クロマニョン人
- ヒト
- 先史時代
- 石器時代
- 北京原人の逆襲(香港映画)
- 北京原人 Who are you?(日本映画)
- ピエール・テイヤール・ド・シャルダン
注釈
- ^ 発見当初の旧学名はシナントロプス・ペキネンシス (Sinanthropus pekinensis) とされたが、現在はホモ・エレクトス・ペキネンシス (Homo erectus pekinensis) とする意見が支配的である。
出典
- ^ a b D. Black (1927). On a lower molar hominid from the Chou Kou Tien deposit. Palaeontologia Sinica, Geological Survey of China, volume 7, issue 1, pages 1-26.
- ^ 長尾捨一「北京人類の失踪」『地学雑誌』第60巻 4号、東京地学協会、1951年、195-198頁。
- ^ コパン 2002, p. 116.
- ^ コパン 2002, p. 117.
- ^ a b c d e f “北京原人の骨はどこに…太平洋戦争開戦の日に消えた化石を追う【あなたの特派員】”. 西日本新聞me. 2021年12月8日閲覧。
- ^ “北京原人化石の行方不明の謎”. 中国百科. 2015年3月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年3月29日閲覧。
- ^ コパン 2002, p. 118.
- ^ 劉世昭 (2004年1月). “東アジア文明のあけぼの : 人類の歴史ぬりかえた北京原人遺跡”. 人民中国. 世界遺産めぐり(23) 北京・周口店. 2015年4月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年3月31日閲覧。
- ^ コパン 2002, p. 119.
- ^ Noel T. Boaz, Russell Ciochon, Xu Qinqi, and Liu Jinyi (2000). “Large Mammalian Carnivores as a Taphonomic Factor in the Bone Accumulation at Zhoukoudian”. Acta Anthropologica Sinica (19).
- ^ “【中国観察】北京原人発見から90年 「消えた頭蓋骨」は今も不明”. 産経新聞社 (2019年12月12日). 2021年1月4日閲覧。
- ^ 本物?北京原人の化石 シドニー美術館が入手『朝日新聞』1976年(1951年)4月29日朝刊、13版、22面
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