加藤良之助
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脚注
- 注釈
- 出典
参考文献
- 井浦祥二郎『潜水艦隊』朝日ソノラマ、1985年。ISBN 4-257-17025-5。
- 板倉光馬『続・あゝ 伊号潜水艦』光人社NF文庫、1996年。ISBN 4-7698-2140-9。
- 勝目純也『海軍特殊潜航艇』大日本絵画、2011年。ISBN 978-4-499-23055-1。
- 坂本金美『日本潜水艦戦史』図書出版社、1979年。
- 坂本金美『深海の勇者たち』サンケイ出版、1986年。ISBN 4-383-02457-2。
- 佐野大和『特殊潜航艇』図書出版社、1978年。(著者は海軍大尉で元特殊潜航艇艇長。戦後国学院大学教授。)
- 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。ISBN 4-7698-1246-9。
- 中村秀樹『本当の特殊潜航艇の戦い』光人社NF文庫、2007年。ISBN 978-4-7698-2533-3。
- 橋本以行『日米潜水艦戦』光人社NF文庫、2004年。ISBN 4-7698-2407-6。
- 福田啓二ほか『軍艦開発物語 2』光人社NF文庫、2002年。ISBN 4-7698-2353-3。
- ペギー・ウォーナー , 妹尾作太男『特殊潜航艇戦史』徳間文庫、1990年。ISBN 4-19-599143-9。
- 海軍歴史保存会『日本海軍史 第9巻』 第一法規出版
- 明治百年史叢書第74巻『海軍兵学校沿革』 原書房
- ^ 公式には6月25日。
- ^ 他に、「対潜爆撃標的」、「TB模型」、「A標的」などの呼称があった。
- ^ 母船4隻から48隻が出撃し、魚雷96本の発射を予定していたとする説もある。
- ^ 航行艦に対する雷撃は簡単なものではなく、潜水艦は潜望鏡で一瞬の間に捉えた船影から、艦種、進路、速度、予測される到達地点を判断し、命中を期待できる位置に進出して公算発射を行う。甲標的は艇の安定性に欠け、魚雷命中は難しかった。
- ^ 呂百型潜水艦の一番艦である呂100で艤装員長、艦長を務める。
- ^ 『海戦要務令』には「会敵の機会を多からしむるとと共に成るべく多数の潜水艦に攻撃の機会を与ふる為戦場之が推移を予想し敵情 潜水艦の性能 隻数及び天象地象等を考慮し之を決定する」と定められ、戦前から重要視されていた潜水艦戦術であった。しかし敵の警戒下にある潜水艦は、その変更指示に応じることができる時期が一様ではなく、また指示に従うため無理に水上進撃する事例もあった。当時から図上戦術とする批判がある。
- ^ K散開線にあった伊19によるワスプ撃沈などの戦果をあげたものの、大きな効果を挙げていなかった。
- ^ 同時期に輸送に従事していた伊16も、5月19日にソナー探知をきっかけにイングランドのヘッジホッグで撃沈されている。戦死者は潜水艦長竹内義高以下107名。
- ^ a b 『日本潜水艦戦史』251頁
- ^ a b 『続・あゝ 伊号潜水艦』15-16頁
- ^ 千早正隆『日本海軍の戦略発想』(文春文庫)、114頁
- ^ a b 『特殊潜航艇』25頁
- ^ 『海軍特殊潜航艇』12頁
- ^ 『本当の特殊潜航艇の戦い』74頁
- ^ 『特殊潜航艇』28-29頁
- ^ 『本当の特殊潜航艇の戦い』77頁
- ^ 『本当の特殊潜航艇の戦い』79頁
- ^ 『特殊潜航艇』34頁
- ^ 『特殊潜航艇』30頁
- ^ 『続・あゝ 伊号潜水艦』22頁
- ^ 『特殊潜航艇』31頁
- ^ 『特殊潜航艇』34-35頁
- ^ 『特殊潜航艇戦史』46頁
- ^ 『本当の特殊潜航艇の戦い』84-85頁
- ^ 『海軍特殊潜航艇』30頁
- ^ 『日本潜水艦戦史』126頁
- ^ 昭和18年8月20日付 内令第1708号。
- ^ 昭和18年9月1日付 海軍辞令公報(部内限)第1203号。
- ^ 福井静夫『日本潜水艦物語』(光人社)、「日本海軍潜水艦要目表」
- ^ a b 昭和18年9月1日付 内令第1816号。
- ^ 『艦長たちの軍艦史』456頁
- ^ 『日本潜水艦戦史』162-163頁
- ^ 『日本潜水艦戦史』163頁
- ^ 『日本潜水艦戦史』166頁
- ^ 『艦長たちの軍艦史』(456-459頁)
- ^ 『日本潜水艦戦史』171頁
- ^ 『日米潜水艦戦』371頁
- ^ 『深海の勇者たち』153頁
- ^ 『日本潜水艦戦史』157-158頁
- ^ 『日本潜水艦戦史』157頁
- ^ 『深海の勇者たち』141-142頁
- ^ 『深海の勇者たち』147頁
- ^ 『深海の勇者たち』148頁
- ^ 板倉恭子 , 片岡紀明『夫・板倉光馬の生涯 伝説の潜水艦長』光人社、2007年。ISBN 978-4-7698-1346-0。
- ^ 『日本潜水艦戦史』177頁
- ^ 『日本潜水艦戦史』176頁
- ^ 『深海の勇者たち』153頁
- ^ 『深海の勇者たち』152頁
- ^ 昭和12年8月10日付 海軍辞令公報 号外 第23号。
- ^ 昭和12年12月1日付 海軍辞令公報号外。
- ^ 昭和12年12月1日付 海軍辞令公報 号外 第99号。
- ^ 昭和13年11月1日付 海軍辞令公報(部内限)号外 第256号。
- ^ 昭和14年11月20日付 海軍辞令公報(部内限)第405号。
- ^ 昭和15年7月8日付 海軍辞令公報(部内限)第501号。
- ^ 昭和15年9月16日付 海軍辞令公報(部内限)第530号。
- ^ 昭和15年10月31日付 海軍辞令公報(部内限)第549号。
- ^ 昭和15年11月25日付 海軍辞令公報(部内限)第559号。
- ^ 昭和15年12月21日付 海軍辞令公報(部内限)第573号。
- ^ 昭和16年2月1日付 海軍辞令公報(部内限)第588号。
- ^ 昭和17年8月1日付 海軍辞令公報(部内限)第910号。
- ^ 昭和17年11月5日付 海軍辞令公報(部内限)第978号。
- ^ 昭和18年3月17日付 海軍辞令公報(部内限)第1072号。
- ^ 昭和18年5月25日付 海軍辞令公報(部内限)第1124号。
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