倭迹迹日百襲姫命
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/09 03:51 UTC 版)
考証
『日本書紀』の記す伝承は、人と蛇神との三輪山型(苧環型)の神婚を表すとともに、妻問婚の習俗を表すとされる[3][1]。また、『古事記』での活玉依媛伝承のように神・人が結ばれて子が産まれる型(神人交流型)ではなく、別離し死去する(神人隔絶型)であるという特徴を持っている[3]。
また百襲姫の地位・巫女的性格から、『魏志』倭人伝に見える卑弥呼を百襲姫に、卑弥呼の男弟を崇神天皇にあてる説や、前述のように箸墓古墳を卑弥呼の墓とする説がある[1](詳細は「卑弥呼#倭迹迹日百襲姫命説」を参照)。
信仰
上記の通り彦五十狭芹彦命(吉備津彦命)の姉神として扱われるため、旧吉備国の周辺地域(主には備前国・備中国・備後国・讃岐国)に根強い吉備津彦信仰において女性の守護者ないしは水神として祀られる事が多い。特に讃岐国一宮である田村神社では地域の水神と習合し、主祭神として扱われている。また延喜式神名帳の「讃岐国大内郡 水主神社」では主祭神として祀られているほか、社伝では皇女7歳のとき倭国大乱を逃れるため、大和国黒田の盧戸を出立し、居を讃岐国水主に定めたのち成人まで住み給いて農業・水路・文化の興隆を成したとされている[10]。
脚注
注釈
出典
参考文献
- 『国史大辞典』吉川弘文館。
- 上田正昭「倭迹迹日百襲姫命」、石井茂輔「大市墓」(倭迹迹日百襲姫命項目内)。
- 上田正昭「倭迹迹日百襲姫命」『日本古代史大辞典』大和書房、2006年。ISBN 4479840656。
- 『日本古代氏族人名辞典 普及版』吉川弘文館、2010年。ISBN 978-4642014588。
- 「倭迹迹日百襲姫命」、「倭迹速神浅茅原目妙姫」。
関連項目
- ^ 「神浅茅原」の比定地として、奈良県桜井市笠の浅茅原または桜井市茅原とする説があるが明らかでない (倭迹迹日百襲姫命(古代氏族) & 2010年)。
- ^ 「倭迹速神浅茅原目妙姫」の名は、神浅茅原で神憑ったことによる讃称とされる (倭迹迹日百襲姫命(古代氏族) & 2010年)。
- ^ a b c d e f g h i j k l 倭迹迹日百襲姫命(古代氏族) & 2010年.
- ^ a b 倭迹迹日百襲姫命(古代史) & 2006年.
- ^ a b c 倭迹迹日百襲姫命(国史).
- ^ a b 倭迹速神浅茅原目妙姫(古代氏族) & 2010年.
- ^ 『萬葉集註釈 一』所収『土佐国風土記』逸文「三輪川(神河)」の引用文(武田祐吉編『風土記』(岩波書店、1937年、国立国会図書館デジタルコレクション)167-168コマ参照)。なお、逸文中の「多氏古事記曰はく」以下は風土記の文章でない可能性が指摘される。
- ^ 宮内省諸陵寮編『陵墓要覧』(1934年、国立国会図書館デジタルコレクション)8コマ。
- ^ 『宮内庁書陵部陵墓地形図集成』 学生社、1999年、巻末の「歴代順陵墓等一覧」表。
- ^ a b c 大市墓(国史).
- ^ a b 仁藤敦史 「記紀から読み解く、巨大前方後円墳の編年と問題点」『古代史研究の最前線 天皇陵』 洋泉社、2016年、pp. 18-20。
- ^ “国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2023年6月14日閲覧。
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