伊藤一長 追悼行事

伊藤一長

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/31 06:49 UTC 版)

追悼行事

シンガーソングライターさだまさしは2007年8月9日に広島市民球場で行った平和コンサート『夏 広島から さだまさし』にて、「元気だったら今日も会場に来てくれていただろう」と、伊藤を偲んだ。伊藤は8月6日の広島原爆忌に長崎で2006年まで毎年実施されていたチャリティーコンサート『夏 長崎から さだまさし』に、決まって激励のため会場へ足を運んでいた。同日朝に広島で平和祈念式典に出席すると、直後に長崎へ取って返しては同会場に駆け付けるという熱の入れようであった[15]

また、8月15日には精霊流しで伊藤を偲ぶ精霊船が長崎市内を廻った。なお、この時「銃声を思い起こさせる」という遺族らの意向で精霊流しに付き物の爆竹は鳴らされていない[16]

プライベート

趣味読書家庭菜園スキューバダイビング。かなりのチェーンスモーカーであった。

職歴

  • 1971年9月-1974年1月 財団法人長崎市開発公社
  • 1975年5月-1983年3月 長崎市議会議員(1期・2期)
  • 1983年4月-1995年4月 長崎県議会議員(1期・2期・3期)
  • 1995年5月-1999年5月 長崎市長(1期)
  • 1999年5月-2003年5月 長崎市長(2期)
  • 2003年5月-2007年4月 長崎市長(3期)※任期満了直前に暴力団幹部の男によって射殺された。

役職

  • 長崎市青年団体協議会会長(1973年8月30日-9月5日)
  • 長崎県市長会会長(1996年(平成8年)4月23日-)
  • 九州市長会会長(2004年(平成16年)5月20日-)
  • 財団法人長崎県市町村振興協会理事長(1995年(平成7年)5月10日-)
  • 日本非核宣言自治体協議会会長(1999年(平成11年)4月1日-)
  • 厚生労働省関係審議会「若者の人間力を高めるための国民会議」委員(2005年(平成17年)5月26日-)
  • 内閣府「食育推進会議」委員(2005年(平成17年)8月25日-)
  • 全国市長会相談役(2004年(平成16年)6月9日-)
  • 全国市長会地方分権推進戦略会議委員(2006年(平成18年)9月6日-)
  • 国立大学法人長崎大学経営協議会委員(2006年(平成18年)4月1日-)
  • 鯨類捕獲調査団長崎県寄港を歓迎する会会長(任期不明)[17]



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