井筒 (能) 演出

井筒 (能)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/13 14:51 UTC 版)

演出

能面

シテは若女や小面などの面をつける

前シテ、後シテともに「各流派が大切にしている若い女面を使う」[35]。具体的には下記の通りである[35]

観世 宝生 金春 喜多 金剛
若女 増女 小面 孫次郎


しかし歴史的には「室町後期から江戸初期に書かれた伝書には鬘物の前シテには「深井」[注 6]をかける演出が一般的」であり[36][25]、室町時代に下掛が「小面」をかけるようになった[36]。「観世流には十世大夫重成が江戸初期の面打ち師「河内」に「若女」の面を打たせるまで、若い女性の面がな」く[36]、「「河内」以降も観世流では「深井」にこだわりをもっていた」[36]

作中の「生いにけらしな、老いにけるぞや」の箇所で「生い」と「老い」をかけるが、このうち「生い」に焦点を当てるなら「小面」をかけ、「老い」に焦点を当てれば「深井」をかけるという面の選択をしていたと考えられる[36]。これは「『井筒』という作品に漂う「待つ女」の錯綜した内面は若い姿では表せないと感じていた」[36]事の表れであろう。

作り物・場面

舞台中央に薄(すすき)の穂を植えた井筒(井戸の周りの枠)の作り物を置く。この作り物は場面により業平の眠る古塚の役割も果たす[35]

この作り物は「竹で作った正方形の台「台輪」の四隅にやはり竹の柱を立て、その上に木製の井桁を組」む[37]。薄は客席から見て奥の隅につけるが、右奥につけるか左奥につけるかは演者が決める事ができる[37]


場面は前場、後場とも大和国石上[注 7](やまとのくにいそのかみ、現在の奈良県天理市)にある在原寺[注 8]の旧跡[35]


小書(特集演出)

  • 物着(観世・宝生・金剛・喜多)[39]:前シテが退場せず、舞台の後見座で後シテの装束を着ける[2][40]。アイは登場せず、「物着の間、囃子方が「物着アシライ」と呼ばれる囃子を演奏する」[40]
  • 刻詰之次第(観世)[39]:シテの幕離れに大小の替手組みが入る。
  • 下略之留(観世)[39]
  • 三度返之次第(観世)[39]
  • 彩色(観世)[39]:「いつの頃ぞや」の後にイロエが入る。形も変わる。
  • 段之序(金剛・喜多)[39]
  • 古比之舞(金剛) [39]

演じ方

いずれも「読んで楽しむ能の世界」からの重引。

  • 慶長期の能役者・下間少進の『童舞抄』
    • 「名ばかりは在原寺の跡古りて」のところは「古跡を恋慕するこころを外想に顕すべし」
    • 移り舞(=(業平を)まねて舞う事)は「男はかせ」の舞であり、「此キリ(=終末部分)男博士、女博士まじれり」
    • 井筒をのぞきこむ部分に関して、「みればなつかしや我ながらなつかしやと云所に陰陽の見樣といふ事あり」
  • 紀州藩の能役者・徳田隣忠(1679-?)の『隣忠秘抄』
    • 移り舞に関して、「男博士にする女博士なれども、跡の出羽(=囃子の名前)より男博士にするは、昔男に移り舞といふ事なり」
    • 井筒をのぞきこむ部分に関して、「作り物の前へ行き立ち、扇を笏のやうに立て、両手に持ちて、見ればなつかしやと井の内みる」

また、名人喜田六平太(十四世)は井筒に関して「ありゃぁ、祝言の舞いだよ」と述べていた。

その他

ワキの名ノリののち、「上歌」、「着きゼリフ」がなく、脇能に比べ略式になっている。[41]


  1. ^ a b c 日本古典文学全集、『謡曲集(1)』
  2. ^ a b c d e f g 世阿弥』、第二章「世阿弥の作品」「物着と複式夢幻能-井筒」の節。位置1691から(kindle版)
  3. ^ a b c d e f g h i j k l 能を読む-2 世阿弥』 p45
  4. ^ a b 現代語訳は『井筒 (対訳でたのしむ) 』p.14より
  5. ^ 現代語訳は『井筒 (対訳でたのしむ) 』p.13
  6. ^ 現代語訳は『井筒 (対訳でたのしむ) 』p.17
  7. ^ 現代語訳は「現代語訳 竹取物語 伊勢物語」より。
  8. ^ 現代語訳は『井筒 (対訳でたのしむ) 』p.20
  9. ^ a b 飯塚 p34
  10. ^ 飯塚 p40
  11. ^ a b c d 飯塚 p43-44
  12. ^ a b c ぬえの能楽通信blog』「『井筒』~その美しさの後ろに」その2
  13. ^ a b c d e 池畑 p115-116
  14. ^ the能.com、ストーリーpdf、p9
  15. ^ 八嶋正治『「井筒」の構造』1976。池畑 p115-116より重引
  16. ^ 堀口池畑 p115-116より重引
  17. ^ 西村聡『「人待つ女」の「今」と「昔」-能「井筒」論』(1980)。池畑 p115-116より重引
  18. ^ a b 能を読む-2 世阿弥 p.54
  19. ^ the能.com、ストーリーpdf、p2
  20. ^ 「能へのいざない」
  21. ^ a b 井筒 (対訳でたのしむ) 』p22収録「<井筒>の舞台」。観世流シテ方・河村晴久。
  22. ^ 飯塚2 pp.87-88.
  23. ^ 飯塚2 p.89
  24. ^ 玉川大学教育博物館 > 館蔵資料の紹介 > 2007年 > 能面「深井」”. 2020年8月15日閲覧。
  25. ^ a b c d 中村1974 p.231上段および『<井筒>の主題と<幽玄>』(1976年)。飯塚2p83、池畑 p116および金p4より重引。
  26. ^ 池畑 p116
  27. ^ a b c d 堀口、p.195。飯塚2 pp.83-84より重引。
  28. ^ a b 伊藤飯塚2 pp.83-84より重引。
  29. ^ 飯塚2 pp.83-84
  30. ^ a b 八蔦正治『世阿弥の能と芸論』昭和60年11月発行 三弥井書店 484頁。飯塚2 p.85より重引
  31. ^ a b c d 西村 p106。飯塚2 p.85より重引
  32. ^ 飯塚2 p.85
  33. ^ a b c 飯塚2 pp.85-86.
  34. ^ a b c d e 飯塚2 p.92.
  35. ^ a b c d the能.com、詳細データ
  36. ^ a b c d e f 粟谷能の会
  37. ^ a b ぬえの能楽通信blog』「『井筒』~その美しさの後ろに」その3
  38. ^ 在原神社(在原寺跡)”. 天理観光ガイド・天理市観光協会. 2020年8月15日閲覧。
  39. ^ a b c d e f g 井筒”. 大槻能楽堂. 2030年8月17日閲覧。
  40. ^ a b 井筒”. 能サポ. 2020年8月15日閲覧。
  41. ^ 「日本古典文学全集、謡曲集(1)」
  1. ^ 女のシテが男装する趣向は他にも『杜若』、『卒都婆小町』、『鸚鵡小町』などで見られる
  2. ^ 月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身ひとつはもとの身にして
  3. ^ 「在原業平は、その心余りて、詞たらず。しぼめる花の色なくて匂ひ残れるがごとし」の「しぼめる花の色なくて匂ひ残」の部分
  4. ^ 当時は妻問婚だった為、これは普通の事であった。
  5. ^ 「業平の霊が衣を通して乗り移ったと考えられる」[2]
  6. ^ a b 「品格をたたえながらも虚ろな瞳と口元が悲哀に満ちた心の内を表現」[24]した中年女性の面
  7. ^ 現在の奈良県天理市
  8. ^ 業平建立と伝えられる寺。明治時代の廃仏毀釈以降「在原神社」になった[38]





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