井筒 (能) 成立と展開

井筒 (能)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/13 14:51 UTC 版)

成立と展開

作者

世阿弥の著書『五音』に作者名なしで挙げられているため、世阿弥の作と考えられる[1]。なぜなら『五音』は「当道ノ音曲」に関して書かれた著書であり、謡曲の一節が「亡父曲付」「十郎元雅曲」等と作者名として挙げつつ紹介しているが、それらの中に作者名が書かれていないもののあり、こうしたものの中には他の伝書で世阿弥自身の作である事が確認される事が多いためである。作者付では『能本作者註文』、『いろは作者註文』、『歌謡作者考』、『自家伝抄』、『二百番謡曲目録』に世阿弥作とある[1]

また本作は世阿弥晩年の作と考えられる[3][2]。なぜなら世阿弥が中期に書いた著書『三道』には本曲の名前は乗っておらず、最晩年に書かれた『申楽談儀』に初めてその名が見えるからである[3]

世阿弥作である事が確実視される曲の中で若い女をシテとしたものは極めて少ないが[2]、本曲はその数少ない例にあたる[2]

本曲は世阿弥自身が申楽談儀でこの曲を「上花也」(最上級の作品である)と自賛するほどの自信作であった[2]。また世阿弥は同書で本曲の事を「通盛」とともに「直(すぐ)なる能」とも述べている[3]。「「直なる能」とは、あまり手のこんだ趣向を凝らさず、「主題がストレートに打ち出されている能」の謂かと思われ」[3]、事実本曲は「直なる能」という評価にふさわしい内容となっている[3]

成立

本曲は上述した『伊勢物語』23段の他に、17段、24段からも歌を取っており、これに「鎌倉後期には成立した『伊勢物語』の古注などを用いて作成されている」[3]。主人公夫婦を業平と紀有常女の夫婦と同一視するのも古注による[3]

本曲に採られている『伊勢物語』の前述した3つの段の女性を全て紀有常女と見るのは古注では『冷泉家流伊勢物語抄』のみに見られ[9]、『井筒』は本書ないしそれに内容が近い注釈書を典拠にしたと考えられる[9]。 また「人待つ女」としての紀有常女には『伊勢物語知顕集』の影響も考えられる[10]

この二つの古注では『井筒』と同じく紀有常女を「幼なじみ」、「人待つ女」見なしているが、その一方で『井筒』に採られていない段に出てくる女をも紀有常女と見なしている関係上、紀有常女を「あだ」(浮気者)な「正妻」とも見なしている[11]。そしてこの事が紀有常女の当時におけるマイナスイメージに繋がっていた[11]

『井筒』では前述した3つの段だけを採りあげる事で「幼なじみ」、「人待つ女」としての紀有常女を造形したといえる[11]。こうした造形は『井筒』の半世紀後に成立した『伊勢物語宗長聞書』にも反映されており、『井筒』の紀有常女像が世間に浸透していった事がうかがえる[11]

なお、『井筒』は『伊勢物語』そのものではなく、古注が原拠になっていると解される箇所があり[12]、「古注の中には『伊勢物語』所収の歌と『井筒』に引かれる歌との異同の説明がつくものがある」[12]。例えは原典では「筒井筒」という言葉すら出てこない[12]

戦後の評価の高まり

2013年現在、「本曲は能を代表する作品という評価が定着しているが」[3]、このような評価が定着したのは戦後のことで、「明治時代から昭和前期には上演頻度も低く、とくに評価が高かった形跡もない」[3]上、研究者レベルでも本曲は特に注目されていなかった[13]

しかし戦後になって世阿弥の真作の同定作業が進むと、昭和30年代になって本曲が真作の一つとして浮上し[13]、1960年代になると世阿弥の代表作、晩年の到達点と見なされるようになった[13]

研究者達との繋がりが深かった著名な能役者観世寿夫はこうした研究者間での本曲の評価の高まりを受け、ほとんど毎年本曲を勤めるようになる[13]。本曲の評価が高まったのは観世寿夫の影響が大きいと思われる[3]


  1. ^ a b c 日本古典文学全集、『謡曲集(1)』
  2. ^ a b c d e f g 世阿弥』、第二章「世阿弥の作品」「物着と複式夢幻能-井筒」の節。位置1691から(kindle版)
  3. ^ a b c d e f g h i j k l 能を読む-2 世阿弥』 p45
  4. ^ a b 現代語訳は『井筒 (対訳でたのしむ) 』p.14より
  5. ^ 現代語訳は『井筒 (対訳でたのしむ) 』p.13
  6. ^ 現代語訳は『井筒 (対訳でたのしむ) 』p.17
  7. ^ 現代語訳は「現代語訳 竹取物語 伊勢物語」より。
  8. ^ 現代語訳は『井筒 (対訳でたのしむ) 』p.20
  9. ^ a b 飯塚 p34
  10. ^ 飯塚 p40
  11. ^ a b c d 飯塚 p43-44
  12. ^ a b c ぬえの能楽通信blog』「『井筒』~その美しさの後ろに」その2
  13. ^ a b c d e 池畑 p115-116
  14. ^ the能.com、ストーリーpdf、p9
  15. ^ 八嶋正治『「井筒」の構造』1976。池畑 p115-116より重引
  16. ^ 堀口池畑 p115-116より重引
  17. ^ 西村聡『「人待つ女」の「今」と「昔」-能「井筒」論』(1980)。池畑 p115-116より重引
  18. ^ a b 能を読む-2 世阿弥 p.54
  19. ^ the能.com、ストーリーpdf、p2
  20. ^ 「能へのいざない」
  21. ^ a b 井筒 (対訳でたのしむ) 』p22収録「<井筒>の舞台」。観世流シテ方・河村晴久。
  22. ^ 飯塚2 pp.87-88.
  23. ^ 飯塚2 p.89
  24. ^ 玉川大学教育博物館 > 館蔵資料の紹介 > 2007年 > 能面「深井」”. 2020年8月15日閲覧。
  25. ^ a b c d 中村1974 p.231上段および『<井筒>の主題と<幽玄>』(1976年)。飯塚2p83、池畑 p116および金p4より重引。
  26. ^ 池畑 p116
  27. ^ a b c d 堀口、p.195。飯塚2 pp.83-84より重引。
  28. ^ a b 伊藤飯塚2 pp.83-84より重引。
  29. ^ 飯塚2 pp.83-84
  30. ^ a b 八蔦正治『世阿弥の能と芸論』昭和60年11月発行 三弥井書店 484頁。飯塚2 p.85より重引
  31. ^ a b c d 西村 p106。飯塚2 p.85より重引
  32. ^ 飯塚2 p.85
  33. ^ a b c 飯塚2 pp.85-86.
  34. ^ a b c d e 飯塚2 p.92.
  35. ^ a b c d the能.com、詳細データ
  36. ^ a b c d e f 粟谷能の会
  37. ^ a b ぬえの能楽通信blog』「『井筒』~その美しさの後ろに」その3
  38. ^ 在原神社(在原寺跡)”. 天理観光ガイド・天理市観光協会. 2020年8月15日閲覧。
  39. ^ a b c d e f g 井筒”. 大槻能楽堂. 2030年8月17日閲覧。
  40. ^ a b 井筒”. 能サポ. 2020年8月15日閲覧。
  41. ^ 「日本古典文学全集、謡曲集(1)」
  1. ^ 女のシテが男装する趣向は他にも『杜若』、『卒都婆小町』、『鸚鵡小町』などで見られる
  2. ^ 月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身ひとつはもとの身にして
  3. ^ 「在原業平は、その心余りて、詞たらず。しぼめる花の色なくて匂ひ残れるがごとし」の「しぼめる花の色なくて匂ひ残」の部分
  4. ^ 当時は妻問婚だった為、これは普通の事であった。
  5. ^ 「業平の霊が衣を通して乗り移ったと考えられる」[2]
  6. ^ a b 「品格をたたえながらも虚ろな瞳と口元が悲哀に満ちた心の内を表現」[24]した中年女性の面
  7. ^ 現在の奈良県天理市
  8. ^ 業平建立と伝えられる寺。明治時代の廃仏毀釈以降「在原神社」になった[38]





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