久留米絣
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南方から琉球を経由して伝わった絣と別に、江戸時代の後期に、井上伝という当時12歳の少女が創始したとされる[1]。久留米藩が産業として奨励していた。一時は年間200〜300万反を生産した[1][4]が、戦後は洋装化により絣の需要が激減。現在は少量の生産にとどまるなか、久留米絣を用いたスニーカーやカバンといった新商品開発など、新たな動きも出てきている[5]。
織り手であった農家の娘たちが口ずさんでいた労働歌を、明治時代に買い付けに来た全国各地の商人が聞いて宿屋で芸者とともに楽しみ、商売道具のそろばんで機織りの音を再現したことから始まった「久留米そろばん踊り」が伝わっている[6]。
日本の小説家、太宰治は久留米絣を用いた着物を好んで着ていた。
出典
外部リンク
- 織物 久留米絣(インターネットアーカイブ・過去の従事者数などが参照できる)
- “久留米絣 Kurume Ikat”. 伝統的工芸品産業振興協会. 2017年8月18日閲覧。
- ^ a b c d e 鳥丸貞恵「博多織と久留米絣—伝統技術と未来への発展」『繊維学会誌』第57巻第6号、繊維学会、2001年、173-176頁、doi:10.2115/fiber.57.P_173。
- ^ トラベル・メイツ社『福岡県風土記1 風土と文化』金文図書出版販売、1982年2月10日、347頁。
- ^ 福井 貞子『絣 (ものと人間の文化史)』法政大学出版局、2002年4月1日、294頁。ISBN 978-4588210518。
- ^ 明治の久留米絣製造業、本村合名会社の広告
- ^ “humming2010 特集記事~前篇”. asianbeat - 福岡県が運営するポップカルチャー配信サイト (2010年3月10日). 2017年8月18日閲覧。
- ^ 今泉由美子「機織り娘 そろばんの舞い◇久留米絣の生産地 従事した少女らの歌・踊り伝承◇」『日本経済新聞』朝刊2018年7月3日(文化面)2018年9月29日閲覧。
- 1 久留米絣とは
- 2 久留米絣の概要
久留米絣と同じ種類の言葉
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