中瀬拙夫 経歴

中瀬拙夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/09 09:32 UTC 版)

経歴

長崎県出身。1914年大正3年)、東京帝国大学法科大学独法科を卒業し、高等文官試験に合格[1]。台湾総督府属、同事務官、林務課長心得、庶務課長、糖務課長、商工課長、特産課長を歴任し、台中陳列館館長、茶検査所所長、台湾茶共同販売所理事長を兼ねた[1]。その後、専売局長台北州知事、殖産局長を務めた[2]

1942年(昭和17年)、第21回衆議院議員総選挙翼賛政治体制協議会の推薦を受け出馬し、当選を果たした。戦後、公職追放となり[3]1951年(昭和26年)追放解除となった[4]

アルコール輸送株式会社取締役、日本糖業連合会常務理事、全国産業団体連合会理事、食用糖蜜需給調整協議会会長、東亜経済懇談会参与を務め、さらに日研化工株式会社会長、第一醸造株式会社会長、知床鉱業株式会社社長となった[2]

参考文献

  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。 
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。 

  1. ^ a b c 『大衆人事録』
  2. ^ a b c 『衆議院議員名鑑』
  3. ^ 『朝日新聞』1946年2月10日一面。
  4. ^ 『朝日新聞』1951年6月8日朝刊一面。


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