ロキシー・ミュージック エピソード

ロキシー・ミュージック

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/26 20:35 UTC 版)

ロキシー・ミュージック (Roxy Music)は、1972年にデビューしたイングランドロックバンドブライアン・フェリーの個性的なヴォーカルを中心に、芸術志向のグラム・ロックなどを発表した。


注釈

  1. ^ 他にオーディションを受けたのは、ボズ・バレル、キング・クリムゾンのマネージャーだったE.G.マネージメントのジョン・ゲイドン(John Gaydon) らで、バレルが採用された。
  2. ^ キング・クリムゾンのマネージメント会社で、EGレコードを運営していた。
  3. ^ 「レディトロン」「2 H.B.」「チャンス・ミーティング」「ボブ〈ザ・メドレー)」の4曲。
  4. ^ リストにはOdeon、Gaumont、Essoldoなど映画館の名前が並んでおり、その中からRoxyが選ばれた。その後、アメリカにRoxyというバンドがいる事が明らかになったので、Roxy Musicになった。
  5. ^ いわゆるデビュー前の「ハコ回り」の類がないというのは異例である。
  6. ^ 大学時代に知り合った。
  7. ^ 「リ-メイク・リ-モデル」「ボブ〈ザ・メドレー)」「ウッド・ユー・ビリーヴ?」「イフ・ゼア・イズ・サムシング」「シー・ブリーズィズ」の5曲。この時の音源は同月21日に放送された。
  8. ^ 元ザ・ナイスのオリストはメンバーの中で知名度が最も高かった。彼は自分に注目が集まりがちだったので他のメンバーから追い出されたと主張している。
  9. ^ 彼は前年にバンの後任ギタリストに応募したが、オーディションで不合格に終わった。その数か月後にミキシング担当として採用され、イーノの助手のような役割を担っていた。
  10. ^ 母親の病死で鬱に陥って、活動がままならなくなった。
  11. ^ ケントンはキング・クリムゾンのオリジナル・メンバーだったマイケル・ジャイルスと親しかった。
  12. ^ この後、彼等はベーシストの正式メンバーを持たなかった。準メンバーとしてサル・メイダ(1973年-1974年、ツアー)、ジョン・ガスタフソン(1973年-1975年)、ジョン・ウェットン(1974年-1975年、ツアー)、リック・ウィルス(1975年-1976年、ツアー)、ゲイリー・ティッブス(1978年-1980年)、アラン・スペナー(1979年-1983年)、ニール・ジェイソン(1980年-1983年)らが参加した。
  13. ^ Kari-Ann Muller。後にミック・ジャガーの弟クリスと結婚した。
  14. ^ この分類は、50年後の現在でも採用されている。
  15. ^ ベースはケントンが担当。デビュー・アルバムの再発CDには収録された。
  16. ^ そのほか「ヴァージニア・プレイン」が"Best UK Single"部門の2位、フェリーが"Best UK Male Singer"部門の17位。
  17. ^ 後にプロデューサーとして、フェリーの初ソロ・アルバム『愚かなり、わが恋』(1973年)やスミスのアルバムなどを手がけた。
  18. ^ フェリーはこのアルバムが最も気に入っている[43]
  19. ^ シングル『ヴァージニア・プレイン』と『パジャマラマ』のB面収録曲はマッケイ作だった。
  20. ^ 当時は単にEnoと名乗り、日本では『エノ』と表記された。
  21. ^ イギリス・ツアーで前座を務めたのは、後にフェリーのソロ活動や21世紀のロキシー・ミュージック再結成を支えたクリス・スペディングが率いるシャークスだった。
  22. ^ アマンダ・レアの紹介で、パリに滞在中に、ル・モーリスに居住していたサルバドール・ダリを訪問した。
  23. ^ イーノは1972年にマッチング・モウルのセカンド・アルバム『そっくりモグラの毛語録』に客演してシンセサイザーを演奏した。この時、同アルバムのプロデューサーを務めたフリップと意気投合し、同年9月にイーノの自宅のスタジオで「ヘヴンリー・ミュージック・コーポレーション」を録音。フリップは同年10月より、キング・クリムゾンのコンサートのオープニングに同曲の録音テープをかけるようになった。
  24. ^ 約20年後、フェリーはソロ・アルバムの制作に際してイーノに協力を依頼。詳細はブライアン・フェリ―を参照。
  25. ^ イーノの脱退が発表された時、フェリーの表向きのコメントは「一つのバンドに2人のノン・ミュージシャンは多過ぎる」だった。
  26. ^ Constanze KaroliとEveline Grunwald。Karoliはカンのギタリストであるミヒャエル・カローリの妹で、Grunwaldはカローリの当時のガールフレンドである。アルバムには無記名。
  27. ^ のち、元ミック・ジャガー夫人。
  28. ^ 『ストランデッド』『カントリー・ライフ』『サイレン』でベースを担当。
  29. ^ 加藤和彦率いるサディスティック・ミカ・バンドが前座を務めた。
  30. ^ 1976年1月27日のストックホルム公演をSR International – Radio Swedenが収録して放映した約45分の番組が、同年12月30日にNHK総合テレビジョンの『ヤング・ミュージック・ショー』で放映された。曲目は「ザ・スリル・オブ・イット・オール」、「マザー・オブ・パール」、 「ナイチンゲール」、 「アウト・オブ・ザ・ブルー」、 「ストリート・ライフ」、「ダイアモンド・ヘッド」、「ワイルド・ウィークエンド」、「ジ・イン・クラウド」、「ヴァージニア・プレイン」、「はげしい雨が降る」[58]
  31. ^ 「レッツ・スティック・トゥゲザー」を収録した同名アルバム(1976年)、「Tokyo Joe」を収録した『あなたの心に』(1977年)を発表。1977年2月にワールド・ツアーを開始し、同年6月初来日。メンバーはフェリー(Vo, Key, Harmonica)、マンザネラ(G)、トンプソン(Dr)、クリス・スペディング(G)、ジョン・ウェットン(B, Vo)、アン・オデール(Key, Vo)、メル・コリンズ(Sax)、マーチン・ドローヴァー(Trumpet)、クリス・マーサー(Sax)。
  32. ^ イギリス・ツアーのマンチェスター公演の模様はグラナダ・テレビジョンで放映され、後に約一時間に編集されてVHSとして発売された。
  33. ^ ウィルソン・ピケットの「イン・ザ・ミッドナイト・アワー」とザ・バーズの「霧の8マイル」の2曲。
  34. ^ ヨーロッパ・ツアーの第一部はキング・クリムゾンが務めた。
  35. ^ 1990年にアルバム『ハート・スティル・ビーティング』が発表された。

出典

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  4. ^ Lester, Paul (2015年6月11日). “Franz and Sparks: this town is big enough for both of us”. The Guardian (Guardian News & Media). https://www.theguardian.com/music/2015/jun/11/franz-and-sparks-this-town-is-big-enough-for-both-of-us 2022年7月24日閲覧。 
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